「革張りの椅子以外NG」指示したことはない

確かに私は好き嫌いが多いため、関係者と食事をする際に、それが目についたのだろう。気を遣ってもらったことなので、それを否定するのも心苦しいが、ただ、私から何かを用意しておけ、革張りの椅子でなければダメだ、などと指示したことは一度もない。やはり、こちらもすべて、私は周囲に身を任せていたのだ。

ここ数年、時々、大学の関係者から、「○○さんから、山根会長に指示されたと言われましたが、本当ですか?」と連絡をもらうことが増えていた。気がつけば、私の知らないところに、“もう一人の私”が作り上げられ、本物の私はというと、裸の王様のように、踊らされてしまっていたのかもしれない。

ただ強いだけでは勝てない世界

2000年、シドニー五輪開催中に開かれた、ミズノスポーツ主催のパーティにて。左からサマランチIOC会長、FIFAのゼップ・ブラッター会長、金雲龍IOC副会長、著者(肩書はすべて当時/画像提供=著者)

世界の舞台に出たことで、私は悲しいかな、スポーツとは、ただ強いだけでは勝てないのだという現実を目の当たりにした。それは、私が戦後生き抜いてきた、どの時期の生活とも似ていて、とにかく人間力と政治力が物を言う世界なのだと知った。

しかし、それは選手には関係のないことであってほしい。その思いで、必死に矢面に立ってきたつもりだった。そこには、なんのたくらみもない。私の「真実」は、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

私は今、不思議と人生で一番穏やかな日々を送っている。これまで散々苦労をかけてきた妻と、ようやくゆっくり過ごす時間ができた。先日など、Vシネマへの出演依頼をもらい、俳優デビューも果たしてしまった。

人生は本当にわからないものだ。今はまだ、「もうボクシングになんて関わらない!」という気持ちが大きいが、それもいつか、変わる時が来るかもしれない。その時はまた、いちファンとして試合会場に足を運べたら、きっと楽しいことだろう。

山根明(やまね・あきら)
日本ボクシング連盟前会長
1939年10月12日、大阪府生まれ。91年に日本ボクシング連盟理事、94年に国際ボクシング協会常務理事に就任。「アマチュアボクシング不毛の地」であった奈良県を「ボクシング王国」へと引き上げる。2011年に日本ボクシング連盟会長に就任、12年に終身会長に。18年7月、「日本ボクシングを再興する会」からの告発状提出を受け、同年8月に会長および理事を辞任する。
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