地方の求職活動には限界がある
以前から日雇い労働や出稼ぎ労働など不安定な雇用は存在した。しかし、近年の不安定さは、企業が期間工やアルバイトとして直接雇用するのではなく、請負会社や派遣会社を通して雇う仕組みが責任の所在を曖昧にさせ、よりドライなリストラを加速させている。
拓也さんはまたも就職先を探すことになったが、自動車運転免許がなく、地方で求職活動するには限界があった。求人の多い営業や介護の職を探しても、移動に車が必要であきらめざるを得なかった。
免許を取ろうにも、教習所に通う資金がない。ハローワークに行っても、応募の条件には自動車免許があることが前提だった。
そのうち、職探しのプレッシャーに押しつぶされそうになった。気が紛(まぎ)れるかと思い、自治体に設置された結婚相談所にふらりと立ち寄ってみたこともある。しかし、案の定、門前払いされた。
年配の相談員から「まずは仕事を見つけなければ。農家に婿(むこ)に行く気があれば、まだ道はある」と言われた。街には結婚情報サービスの宣伝があふれているが、「失業中の男や低収入の男には関係のない話」と痛感した。
いわゆる「負け組」になったことを思い知らされた瞬間だった。中年フリーターには結婚すらも許されないのだろうか。
やっと決まった就職先は、周囲の従業員が次々に離職
拓也さんは、工場で期間工やアルバイトをしながら粘って職探しを続けた。すると、幸運にも就職が決まった。東海地方にある酒の量販店で、契約社員からのスタート。月給は30万円。月70時間のみなし残業が含まれていたが、33歳になって初めて年齢相応の給与を得られる実感がした。
静岡県内の店舗に配属され、会社がアパートを借り上げてくれた。拓也さんは契約社員ながら、副店長として働き始めた。店長だけが正社員で、契約社員が2~3人、残りはアルバイトという社員構成だ。アルバイト以外は、平均しても月83時間の残業を余儀なくされた。年末年始の残業は月130時間にも上った。
しかし、超過分の残業代は支払われない。拓也さんは「これでは過労死するのではないか」と、小売業で40~50代になっても続けられる仕事か、疑問を抱き始めた。
周囲の従業員は次々に辞めていく。厚生労働省の「雇用動向調査」(2017年)から離職の動向を見ると、最も離職率が高いのは宿泊・飲食サービス業の30.0%で、拓也さんが勤めた卸売・小売業も14.5%と低くない。人が辞めるぶん、仕事に就くチャンスはあるが、それだけ厳しい職種ということになる。