母の人格が壊れるのを見るのは、つらい
次女「母は兄が定年後、嫁とともに郷里に帰り同居し、家の継承と墓の守り、老後の介護、死後のことを託したいと願い続けていました。しかし、88歳の時、その兄が病死し、それがショックで認知症が始まり一気に進行しました。
その後、私の家に引き取りましたが、嫁に出した娘の世話にはなれないと、いつも私の夫に気を遣っていました。ほぼ10年間家でみてきましたが、今年初めにインフルエンザに罹り、その後、肺炎で入院し、加えてたびたびの緑内障発作で視力をほぼ失い、在宅介護が困難になり、ひと月半の入院、そこを退院後は、介護老人保健施設に3カ月、老健退所後は、やっと見つけた介護付き有料老人ホームでお世話になっています。
入院中から続く夜間不眠と異常なほどに頻回の尿意を訴え、それも目が見えないので大声で叫ぶため、施設側が悲鳴をあげ、精神病薬を処方され、副作用で母の人格がどんどん壊れていくのを目の当たりにして、とてもつらい毎日です。病院も、医療費より個室料や昼間の付き添い料で何十万もかかり、施設も月に二十数万円かかります。母の年金では到底まかなえず、母の預金をどんどん崩しています」
「ドタリ」の後で窮地に陥らないための備えは
ここまで、何の備えもなかった2人の長寿者、Oさん、Pさんの苦境を見てきた。こうした苦境は、親に経済力がなく、介護保険もなかったかつての時代なら、年寄りの運命として受け入れるしかない面があった。しかし、この2人は、経済的に恵まれ、今は介護保険もある。倒れるまでは自他ともに認める「元気長寿者」だったのに、なぜ、2人はこのような窮地に陥ったのだろうか。そこに陥らないための備えとして、何が必要だったのだろうか。
まず、2人に必要だったのは、元気なうちから、自分が倒れた時、どこで誰の手助けを受けて暮らしたいかについて考え、自分の意向を固めておくことであった。子どもに人生の最終ステージの身の振り方を丸投げし、その「当てが外れた」場合、長寿期の脆い身体と心が受けるダメージは大きく、痛手はさらに深まる。
次に必要なのは、子どもがいる場合、親の気持ちをわかってくれているだろうと忖度し、期待しないことである。親と子どもは住む世界も異なり、価値観も異なっている。何より、戦後の新しい家族観を身につけた子ども世代とは、親子観、夫婦観が異なっている。だから、子どもが数人いる場合は、喜寿や傘寿などの人生の節目や、盆・正月などの皆が集う場で、自分の意向を伝えておくことである。あらかじめ親の意見を皆が聞いておくことで、Oさんの例のような、きょうだい間の葛藤を減らすことができるかもしれない。