米メディアを萎縮させるマジックワード
民主主義が生まれた古代ギリシャのアテネは徐々に衆愚政治に陥って衰退した。大衆迎合が横行し、異常なリーダーが日常化する現代の民主主義も同じような方向に進んでいるように思える。かつては異常な状況を正常に引き戻す仕掛けがあった。1つはアメリカという覇権国家の存在である。「自由、平等、幸福の追求」を人間の天賦の権利と謳った独立宣言に始まって、リンカーンの奴隷解放、無理やり引きずり込まれた2つの大戦を経て、アメリカは自由と民主主義の本尊として世界にある種の道徳律というものを振りまく存在になった。しかし世界が多極化する中でアメリカはグローバルコップとしての矜持も自信も失って、今や大統領が「アメリカファースト」を堂々と掲げる国になってしまった。
正常化のプロセスが働かないもう1つの理由が、マスメディアの衰退だ。第4の権力としてマスメディアは行政、立法、司法の3権を監視して歪みを矯正し、規律を与えてきた部分がある。しかしネットやSNSの発達によって情報の民主化が起きて、個人が情報を発信する時代になった。言ってみれば「メディアの衆愚化」である。情報を独占できなくなったマスメディアの影響力は急速に低下した。トランプ大統領も記者会見はやらず、もっぱらツイッターで自分の考えを表明して、自分に不都合なマスメディアの記事を「フェイクニュース」と切って捨てる。フェイクニュースという言葉は今のアメリカのマスメディアにとってペンを鈍らせる大きな重しになっているのだ。
異常な状況がなかなか改善されない3番目の理由は、アカデミアと現実の乖離。経済学で言えば、ケインズ以来さまざまな経済学者が経済事象をモデル化し、理論構築して、世界をリードしてきた。しかし今の経済学者は先人が150年ぐらいかけて積み上げてきた経済理論というものをリバイスできていない。サイバー経済やボーダレス経済といった経済事象に適った新しい理論が用意できていないし、これまでになかった日本のような超高齢化社会の経済モデルも提示できていないのだ。
アメリカが道徳律を世界に示し、マスメディアとアカデミアが健全に機能していた時代は、正常化のプロセスが自然に働いた。しかし、この3つの要素が大きく退潮したために世界は変容し、異常が日常化した。構造的な理由がある以上、放っておいて改善される見込みはない。われわれはそういう深刻な状況に陥っているのだ、という認識をまず持つところから世界を眺める必要があるのだ。