よろこびにも悲しみにも寄り添う

黒森神楽が活動する範囲は広大だ。北はNHKの朝ドラ『あまちゃん』の舞台となった久慈、南は製鉄で栄えた釜石まで、南北およそ150キロメートルにおよぶ。毎年正月に黒森神社をたち、3カ月程をかけて沿岸各地を訪れるのが〈廻り神楽〉と呼ばれるゆえんだ。それだけに、多くの人たちの悲喜こもごもに伴走することが宿命だと言える。特に各地で神楽衆を迎え入れ、一夜の宿を提供する篤志家の家を〈神楽宿〉といい、長年にわたる付き合いから格別の思いを共有している。

宮古市石浜にある〈神楽宿〉の畠山光八さんの家では、母親の七回忌を弔うための〈神楽念仏〉を行った。母親は当時入居していた老人施設で津波にあった。遺体が見つかったのは3.11の1カ月後。長年、神楽衆を手厚く迎えてくれた人だった。

光八さんの家の座敷に、亡き人の魂を慰め、あの世での幸福を願う神楽歌が響く。権現様がむせび泣くように小刻みに歯を打ち鳴らす。位牌を前にした光八さんは、目を真っ赤に腫らしていた。

神楽念仏。(C)VISUAL FOLKLORE INC.

人々のよろこびにも、悲しみにも寄り添う。それが黒森神楽のすごいところだ。

いつも通りが抱く宿命

弔いの〈神楽念仏〉を終えた神楽衆の1人がカメラに向かって語ってくれた。若者頭として神楽衆をひっぱる田中大喜さんだ。「神楽をいつも通りにやれることが尊いのだ」と言う。神楽宿を訪れるたびに、いつもと変わらず、いつも通りに神楽を打ち、いつも通りに笑い合い、いつも通りに再会を約して別れる。それができる事が尊いのだと。大震災によってその尊さをかみしめた。

田中さんはこうも言う。「変えずに伝えることが大切なんだ。先輩から教えられたとおりの神楽をそのまま伝える。自分は中継ぎにすぎない」

奇をてらわず、欲を出さず、昔のままに神楽を伝える。そうすれば、激変する運命を背負ったこの地にあっても、神楽が過去と未来を結ぶものになる。そう言っているようだった。

“津波常襲地域”の三陸を340年以上廻り続ける黒森神楽。悲劇と再生に寄り添ってきた伝統が抱く、すさまじい本質を見た気がした。

神楽がくれば、春はもうすぐ

2018年1月3日。今年も黒森の神様が獅子頭に乗り移り、神楽巡行がはじまった。刺すように冷たい冬の海風のなかを、神楽衆は権現様とともに「いつも通り」の旅をしているに違いない。三陸の人たちはよく「神楽がくれば、春はもうすぐ」と口にする。春の先触れである神楽が来れば、厳しく長い冬の終わりは近いというのだ。

東京での映画公開がまもなくはじまる。ぜひ三陸の地に春の訪れを告げる〈廻り神楽〉の姿を多くの方々にご覧いただきたいと願っている。もうすぐ東日本大震災から7年だ。

▼黒森神楽
正月になると黒森神社の神霊を移した「権現様」(獅子頭)を携えて、陸中沿岸の集落を廻り、家々の庭先で権現舞を舞って悪魔払いや火伏せの祈祷を行う。夜は宿となった民家の座敷に神楽幕を張り夜神楽を演じて、祈祷の舞によって人々を楽しませる。340年以上、三陸の南北150キロメートルにおよぶ地域を巡り続けてきた。国指定重要無形民俗文化財。
▼作品情報
『廻り神楽』 監督:遠藤協・大澤未来/2017年/日本/94分
2018年1月20日(土)~[12:30 18:50] ポレポレ東中野ほか全国順次公開
キネマ旬報2017年文化映画ベスト・テン作品
公式サイト https://www.mawarikagura.com/
予告編 https://youtu.be/pC77XwytRpg
遠藤 協(えんどう・かのう)
映画監督・映画プロデューサー
1980年生まれ。慶應義塾大学在学中に民俗学と文化人類学を学ぶ。映画美学校ドキュメンタリーコース修了後、数多くのドキュメンタリー映画やテレビ番組、記録映像等の制作に携わる。とくに日本各地の民俗文化や芸能のドキュメント制作に力を入れている。2012年からは岩手県宮古市の「震災の記憶伝承事業」に参加。震災から5年後の市民の活動を追った『未来へわたすー東日本大震災から5年』(2016)をプロデュースした。
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