一番激しい交渉は公認候補の問題だった
【塩田】今年6月、細川さんが前原さんや小池さんと接触したと報じられました。
【前原】それはばらばらで、3人で会ったのではありません。私は6月2日、東京・銀座の細川さんの書や陶芸の個展に伺い、細川さんと小1時間、話をした。私は将来的に小池さんと連携できるのではと思っていた。政界再編をやらずに民進党で次の総選挙に突っ込んでも無理という思いがあったから、細川さんに話をしました。そこで「日本新党の同窓会を」とお願いした。やりましょうという話になり、私がツイッターに「日本新党が私の原点」と書いたら、相前後して小池さんも「日本新党が原点」と発言された。それで3人が話し合っているのではという記事が出ました。
【塩田】細川さんは小池さんにどんな働きかけを。
【前原】それは私にはわかりません。ただ、解散になりそうだという9月17日、私は小池さんに連絡を取ろうとした。その日、向こうからもある方を通じてアプローチがあった。双方同時でした。阿吽の呼吸です。
【塩田】小池さんが前原さんにアプローチした狙いは何だったと思いますか。
【前原】小池さんは民進党と組まなくても、首都圏を中心に、ひょっとしたら60~70議席取れたと思うんですが、それではなんの意味もないと思った。首相に、と思ったかどうかは別にして、今の安倍政権と違う保守の勢力を生み出し、保守2大政党政治をつくるチャンスと判断した。それで私にアプローチをしてきた。私も民進党が総選挙で小池新党とガチンコで戦ったら、目も当てられないと思った。お互いの利害が一致したと思います。
【塩田】小池さんの側との事前交渉で問題となった点は。
【前原】初めての本格的交渉は9月22日で、小池さんが信頼する右腕の代理人の方と3時間半くらい話し合った。国会議員ではありません。向こうは組むつもりかどうか、私も疑心暗鬼でした。はしごを外されるかもしれないから、注意深く接しました。向こうもそうだったと思います。いくつかの事項を確認して、これは本気だなと思いました。
一番激しい交渉となったのは公認候補の問題でした。総選挙の小選挙区は 289ですが、私は「3分の2をこちらに」と主張しました。向こうは「それだと、第2民進党と言われる。2分の1ずつに。こちらには現に160人くらいの候補者がいる」と言う。代理人の方が「小池さんはもう65歳です。国政政党の党首として、ここで60~70議席を取っても、なんの意味もない。選挙が強くて、かつて政権中枢にいた民進党の方々の経験を生かしながら、政権交代まで持っていきたい」「選挙協力は駄目。一緒になって、選挙はすみ分けで」とおっしゃる。そこで「3分の2と3分の1」か「2分の1ずつ」かという話はそのままにして、候補者調整をということで進めていきました。
【塩田】小池さんが民進出身候補の丸ごと受け入れは「さらさらない」と発言して選別路線を打ち出し、「排除の論理」と言われました。
【前原】私が見たことのない「排除者リスト」が飛び出して、民進党内に疑心暗鬼が生まれました。ですが、交渉の最中だったので、私は何も言わなかった。
【塩田】排除者リストは、前原さんに相談なく、向こうが勝手に流したのですか。
【前原】出所がよくわからない。何よりも私には提示されていません。リストに野田佳彦元首相が入っていたというんです。松下政経塾の先輩で、大事な方と思っているので、小池さんに電話して「野田さんも排除するのですか」と言ったら、「そんなつもりはまったくない」という話でした。その例を一つ取っても、排除者リストは事実ではなかった。
小池さんが表で何を言われようが、私はわれわれ全員を公認すると思っていた。ですから、候補者調整では排除者リストには言及しなかった。交渉は、こちらは玄葉光一郎さん(元外相)にやってもらった。向こうは若狭勝さん(前衆議院議員)が出てきた。私は玄葉さんに「もし排除者リストなるものが出てきたとしても、気にしないでくれ」と申し上げた。玄葉さんも「若狭さんからそれは出てこなかった」と言っていた。
ほかに、若狭塾の第1次公認リストが流れました。ですが、私は「若狭塾のポッと出の人が準備もなく当選できるような甘い選挙ではない。東京は小池さんの人気で勝てるかもしれないけど、地域で根を張って活動し、連合との関係をきちんと築いてきた人たちを公認しなければ駄目ですよ」と申し上げた。民進党としてやっていた世論調査に基づく各選挙区の情勢分析を向こうに全部渡して「これも参考にしてくれ」と言って交渉しました。