12年半の結婚生活に終止符を打ち、その後、チエミは一人寂しく亡くなってしまう。高倉は生涯チエミのことを好きだったといわれる。それが証拠に、新婚旅行で行ったハワイには別荘も買い、撮影が終わるとちょくちょく出かけていた。

「おだたけいち」ではなく「おだごういち」に

映画『鉄道員(ぽっぽや)』の中で、チエミの代表曲「テネシーワルツ」を使っている。2人は瀬田の自宅からすぐの法徳寺に墓を買っていた。高倉はチエミの月命日には闇に紛れて墓に手を合わせてきたという。

だが、離婚後もチエミのことを好きだったと彼の口から語ったことは、私が知る限りない。チエミはステージでもよく『唐獅子牡丹』を歌っていたのだが。

話を急ごう。この本の白眉は、高倉と養女との馴れ初めや、彼女の不可解な行動の謎に迫った章である。

森は、養子縁組の際の入籍申請書類を見ている。養女になった貴の母親と、高倉の従弟(高倉プロの専務・当時)のサインがある。

だが不思議なことに、高倉の本名である小田剛一のふりがなが「おだたけいち」ではなく「おだごういち」になっているのだ。それも従弟のところには、何も書かれていない申請書を持ってきて、サインしてくれといわれたというのである。

高倉の実妹や親族たちは森に対して、高倉の死を知らされなかった悔しさを隠さない。いまだに養女とは会えず、弁護士を通してくれといわれているそうだ。なぜこうまでかたくなに実妹や親族を拒むのだろう。

「バレた、どうしよう」

そのくせ、高倉が死ぬ直前までCMに出ていた九州の会社には飛んで行って、高倉の死後もCMを放映してくれと、彼の死をマスコミ発表より早く知らせに行っている。週刊誌のインタビューにも答えているのに、生前高倉ときわめて親しかった人間たちとは会おうともしない。

貴の経歴も、高倉の出会いもよくわかっていない。仕事をしていた「チーム高倉」のメンバーも、彼女の存在をほとんど知らなかったという。森によると、貴は貴倉良子という名で女優やテレビリポーターをしていたそうだ。大部屋女優から、ホテルジャーナリストに転身しているという。

知り合ったのは1990年代後半。どうやら香港のホテルで知り合い、その後意気投合したらしい。彼女に会った数少ない人間も、彼女は家政婦だと思っていたと語っている。

親族たちが、高倉に何か異変があったのではないかと気づき、電話をあちこちにかけた。それを知った貴は、「バレた、どうしよう」と慌てふためいたそうだ。そして、高倉の匂いを消すかのように家を壊し、墓を更地にし、愛車やクルーザーも処分してしまったのだ。

こんな話がある。棺桶をどうしようかという話になった時、貴は、「一番質素なものでいい」といったそうだ。さすがにそれはないだろうということで、従弟が桐の上等なものにさせた。