とけるような細いタレ目、常に微笑みを浮かべているような口元、男性ホルモンが旺盛なのをイメージさせるようなM字ハゲ……。
その顔はスケベそのものだ。
糸井重里は「“べえ”が足りない」といった
また鶴瓶はこれからの芸人に必要なのは、「いかに遊ぶか」だと言っている。とはいっても、いわゆる「飲む打つ買う」とは違う“遊び”だ。
「人見知りしない。時間見知りしない。場所見知りしない。そこに対していかに助平であるか。それが芸人にとってのフラになるんやから」
いかに助平であるか。貪欲に節操なく様々なものに向かっていけるか。
それは芸人だけではなく、誰にでも当てはまることだろう。
ちなみに“フラ”とはよく落語家を表現するときに使われる言葉で、理屈では説明できない天性のおかしさ、というような意味で使われる。
糸井重里は「“べえ”が足りない」といった。
その「べえ」は鶴瓶のことであるのと同時に、「スケベ」と言い換えることができるかもしれない。
鶴瓶の言う、「スケベ」とは一体どういうことなのか。
そこには僕らが幸福に生きるためのヒントが隠されている気がする。
今、日本には「べえ」が足りない。
ならば、これから鶴瓶の生き方を通して、「スケベ」に生きる術を学んでいきたい。
1978年生まれ。ライター。ペンネームは「てれびのスキマ」。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』など。