声なき声で訴えた「24時間他人介護」の必要性

「人生最低のハイタッチ」(60ページ)という小文のタイトルも見事だ。患者仲間との少々もの哀しいけれど確実に心が通った瞬間を、たった10文字で鮮やかに表現している。まさに藤元的レトリックの真骨頂であり、この短編小説のような小文は読む者の胸を打たずにはおかない。まぎれもなく彼には、文才があったのだ。

私は、藤元がまだ自力でスプーンを持てた頃、雑誌『婦人公論』に彼のルポを書いたことがある。ALSという病気の残酷さは、動かない身体に明瞭な意識が閉じ込められてしまう点にあると理解して、私はそのように書いた。そして、気管切開をすれば健康な人間と同等の寿命をまっとうできる可能性があるにもかかわらず、ALS患者の7割が気管切開をせずに自死を選ぶのは、家族に介護の負担が重くのしかかることを慮ってのことだとも……。

だが、出来上がった原稿を読んだ藤元の反応は、「いい記事だけど、俺が思っていることとはちょっと違う」というものだった。

藤元は「24時間他人介護」の実現にこだわっていた。24時間他人介護とは、家族による介護を一切受けることなく、24時間ヘルパーに介護を受けることである。藤元は地元・富士宮市に宛てて「重度訪問介護816時間の要望書」を書きあげて(70ページに掲載)、後日、要望通りの介護時間数を獲得している。夜間のヘルパー不足で、結果的に24時間他人介護は実現しなかったが、藤元がこれにこだわったのには訳があった。

テレビのドキュメンタリー番組では、家族に迷惑がかかることを気遣って自死を選択するALS患者の姿を美談として描くことがあるが、藤元に言わせれば、それは「選択」などではなかった。気管切開をして「生」を選択すれば、何十年にもわたって家族に迷惑をかけ続けることになる。家族を思いやって気管切開をせずに「死」を選べば、美談である。さあ、どっちを選ぶと問われて、「家族に迷惑をかけてでも生きたい」と言える人間が、いったい何人いるか? これは選択などではなく、暗黙の自死の「強要」だ。生か死かを自由に自己決定するには、家族に一切負担をかけずに済む24時間他人介護の実現が前提でなければならない。ALS患者藤元健二の主訴は、そこにあった。

『閉じ込められた僕』は、決して美談ではない。藤元が声なき声で訴えた「24時間他人介護」の必要性に、私たちは耳を澄ますべきだ。

山田清機(やまだ・せいき)
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』(朝日新聞出版)などがある。 
関連記事
任天堂岩田社長の“早すぎる死”は防げたか
若年性パーキンソン病告白の社長×ノンフィクション作家「乗り越えられない試練はない」
がん患者が嬉しい言葉、つらい言葉
なぜ患者本人の「リハビリ努力」が大切なのか
“病気で半年入院”出世への道は断たれるか