連日連夜の会議に疲れ果てた!
8月の終わりに安倍晋三首相に同行して、ケニアの首都ナイロビで開催されたアフリカ開発会議(TICAD)に行ってきた。今後3年間に官民で総額3兆円(300億ドル)支援を表明し、アフリカ各国からも大きな期待が寄せられ、会議は大成功に終わった。こんなに連日連夜会議をしていた外遊は、私の記憶でもあまりない。
帰りの政府専用機(通称、エアフォース・ワン)内では疲れ果てて、横の外務省の局長との話の最中に眠くなってしまった。うつらうつらしているタイミングで、相手に相槌を打つという高等技術を私は行なっていたのだが、油断して完全に眠りに落ちてしまった。夢のなかでハッとそれに気づいて慌てて目を覚まして、局長のほうを見たら局長も寝ていた……。とはいえ、たいへん申し訳ないことをしたと反省している。
それにしても、私の40年以上の永田町生活の中でも、日本政府が海外でこれだけの規模の会議を成功させたというのは記憶にない。TICAD とは、Tokyo International Conferenceon African Developmentの略。アフリカの開発や支援について話し合う会議なのに、Tokyoが付いているのは、日本政府が主導して東京(または横浜)で開催されてきたからだ。最初の開催は1993年。その後5年ごと(2013年から3年ごと)に開かれてきた。今では中国やロシアも似たような会議を主催しているが、アフリカの重要性を評価し、将来のための投資を始めたのは日本のほうがずっと先だった。3年前の会議で参加各国からアフリカでの開催への強い要望があり、今回のナイロビでの会議が実現した。ナイロビの標高は約1700メートル。1年を通じて最高気温が25度くらいで非常に快適な気候。湿度が高い猛暑の東京から行くととても気持ちがいいのだが、TICAD担当の外務省の職員たちは、現地の気候を味わう余裕はなかったと思う。
今回はアフリカに対する政府の支援だけでなく、投資に関心を持つ経済界も積極的に関わっていて、77団体の企業・大学等の代表も首相に同行して現地入りした。それ以外にも140の企業、自治体、大学などが会場にブースを出展し、日本の技術や投資の方針などをアピールするため、企業・団体の関係者の日本人約3000人がナイロビに集まった。
会議開催の実務に加えて、こうした日本人の世話を担当する外務省の事務局のスタッフは352人に上る。外務省を中心に霞が関の一部がナイロビに移転したような雰囲気になっていた。事務局のロジ(ロジスティクス)担当がまず苦労したのは、現地の宿泊先の確保だろう。衛生面、治安面から選んだ三ツ星以上クラスの40軒のホテルで3000室を事前におさえた。
次は会議出席者のIDカード発行。通常、こうした業務は開催国側が担当することが多いが、今回は出席者のほか、会議エリアに定められたホテルの従業員なども対象としており発行枚数が2万枚にも及ぶため、日本のロジ部隊にお鉢が回ってきた。国際会議のIDカードといえば本人確認のための小さな顔写真が添付されるものだが、当然ながらアフリカ各国には肌が黒い人が多い。
実際にIDカードを印刷すると、顔の部分が黒く塗りつぶされたようになってしまい誰が誰だかよくわからなくなってしまった。先方からすれば、非常に失礼な話なのだろうが、アフリカ各国の駐日大使との付き合いのある私でさえ、黒人の彼らが似たような背広を着ていると、大統領も大使も運転手もみんな同じ顔に見えてしまう。IDカードには、当然ながら首から上しか写っていない。警備はお手上げだろうなと内心心配はしていたが、何も起きなかったようで安心した。
とはいえ、現地の人たちがいい加減だなと感じたのは、偉い人とそうでない人の見分け方だ。どうやら彼らはカバンを持っているかいないかで、相手を判断していたようだった。大統領・首相はもちろんだが、閣僚級の人物や政府高官は秘書がいるために自分で荷物を持つ必要がない。IDカードなどを見て、そこに身分が書かれてあっても、日本人からすればアフリカ各国ではどのような人物なのか、ナイロビの警備からすれば日本ではどのような地位にあるかなど瞬時に判断できるはずがない。だから、その人物が荷物を持っているかどうかでボディチェックにかかる時間がまるで違う。たまたま荷物を持っていなかった私や今井尚哉・総理大臣秘書官が、他の人たちと比較して恐ろしい速さでゲートを進めたことには苦笑した。外国人が日本人と韓国人、中国人の区別がつかないとしても笑って許さないといけないなと思ったものだった。