LINE誕生前は、負け組の会社だった
【田原】LINEというサービスの誕生は11年6月です。いきさつを教えてもらえますか。
【出澤】じつは当時のグループ3社はみんな負け組だったんです。NHN Japanのハンゲームはパソコンオンラインゲームサイトでナンバーワンでしたが、ガラケーの時代になってGREEやDeNAに逆転されました。NAVERは検索サイトとして韓国で圧倒的ナンバーワンですが、鳴り物入りで日本に入ってきたものの鳴かず飛ばず。ライブドアは、再建を果たしたものの堀江さんの時代の勢いには遠く及ばない。それぞれの会社が成功体験を持ちつつも、壁に当たってフラストレーションを抱えている状況でした。
【田原】それで?
【出澤】負け組ですから、守っていても仕方がありません。全リソースをかけて大きな勝負をすべきだということになり、10年に今後はスマートフォンしかやらないという決断を全グループでしました。その中で生まれたのがLINEです。
【田原】スマホでやるにしても、いろんなサービスが考えられますよね。どうしてLINEだったのですか?
【出澤】パソコンの歴史を振り返ると、最初にパソコン通信のような「コミュニケーション」が来て、次にニュースやゲームなどの「コンテンツ」、そしてコンテンツが増えてから「検索」という流れで発展してきました。スマホも同じ歴史をたどるなら、まずはコミュニケーションだろうということで、チャットアプリを開発したのです。
東日本大震災がきっかけで、一気にLINEを開発・リリースした
【田原】なるほど。開発時期に3.11の震災がありましたね。影響は?
【出澤】東日本大震災で電話回線がつながらなくなり、親しい人とコミュニケーションする手段がなくなりましたよね。ツイッターは活躍しましたが、あれはどこに物資が届いてないなど、情報を広く拡散させるのに向いたツールで、自分のおばあちゃんの安否確認などには向いてない。親しい人とクローズドでやりとりできるツールこそ必要だという話になり、震災の余波が落ちつき始めた4月後半ぐらいから一気に開発を進め、6月にリリースしました。
【田原】ユーザー数はいつごろから伸び始めたのですか。
【出澤】2011年秋です。こういったサービスは、ネットワーク外部性といって、友達が友達を呼ぶ構造になっています。友達が多く使っているものとそうでないものがあれば、ユーザーは友達が多く使っているものを選びます。そのため一度、加速がつき始めると、指数関数的にユーザーが増えていくのです。そのトレンドが出てきたのが、2011年の秋から冬でした。アプリのテレビCMは一般的ではありませんでしたが、トレンドを加速させるためにテレビCMにも踏み切りました。この時期がターニングポイントでしたね。
【田原】ネットワーク外部性の話はわかりやすい。ただ、最初に多く使われるのも大変だ。LINEには、これまでと違う新しい発想があったの?
【出澤】技術自体はこれまでにあった技術の集合体です。ただ、パソコンやフィーチャーフォンのユーザーも欲しいという色気は捨てて、スマートフォンのユーザーにとって使いやすい形を徹底的に考えて提供したという点が差別化になったんじゃないでしょうか。あとは、やはりタイミング。2011年秋に「iPhone 4S」という非常にいい端末が出て、それに対抗するアンドロイド陣営もいい端末がどんどん出てきました。LINEは最初テキストのチャットだけでしたが、ちょうど2011年秋にスタンプや無料通話機能を追加投入した。われわれのサービスをいい状態にできたときに、スマートフォンが一気に伸びるタイミングを迎えられたことが大きかったと思います。
“LINEの父” シン・ジュンホとは?
【田原】LINEをつくったのはライブドアではなく、ネイバージャパンだそうですね。ネイバージャパンはシン(慎)・ジュンホという人が率いていて、今回の上場で初めて表舞台にも出てきた。これまで名前を聞きませんでしたが、彼はどのような人ですか。
【出澤】シン・ジュンホはもともと韓国で独立系の検索のスタートアップ「チョンヌン」を立ち上げていました。日本語だと「初雪」という意味だそうです。その会社を買収しようとネイバーとグーグルが争い、最終的にネイバーが買収に成功。シンは韓国で1年間、大きなプロジェクトを担当した後、「日本で結果を出してこい」と言われて、片道切符で派遣されてきました。そのときにネイバージャパンが立ち上がっています。
【田原】LINEの誕生にもシンさんは噛んでるんですか。
【出澤】プロダクトは彼が中心になってつくりました。
【田原】出澤さんは?
【出澤】会社が違いましたが、事業ドメインはネイバージャパンとライブドアも一緒の事業部門にいたので、最初から関わってはいました。本格的に関わり始めたのは、12年に3社が経営統合してから。LINEをプラットフォーム化することになって、私は特にBtoBの広告ビジネスを担当しました。
【田原】広告ビジネスというと?
【出澤】たとえば企業様にLINEのスタンプのスポンサーになってもらい、ユーザーに無料で提供します。夫婦間で「今夜は遅くなるよ、ごめんね」と送ったときのスタンプが企業様とのコラボレーションだったりすると、広告を無視されないというか、自然な流れの中で広告を見ていただける。こうした仕組みをつくりました。
【田原】会社としてのLINEが発足して、森川亮さんが社長をやられていた。彼は何を?
【出澤】シンがプロダクトをつくり、いま取締役をやっている舛田(淳)が戦略やマーケティングをやり、私がビジネスを担当。そこに全体のオーガナイザーとして森川が存在していました。