本部は大阪市福島区にあり、前任の本部長時代から、毎週火曜日の午前に、研究開発の方向を論じる本部会議を開いていた。とりあえず、そこへ出た。議題や顔ぶれを眺め、議論の内容を聞いたら、あまりに内向きで「これでは鎖国化するわけだ」と思う。しかも、科学的な細かい点は得意だから嬉々として論じ合うが、会社としての決断となると「それは、本部長にお任せする」となる。

これでは、本部長のさじ加減次第で、白くなったり黒くなったりする。うまくいかなくても、うまくいっても、必然性がないので追跡ができない。そこで、考えた。議論の記録を、結論しか書いていなかったのを、全部残した。しかも、その過程が本部の唯我独尊にならないように、営業や広報などの部署の人間を会議に入れた。

すると、すごく居心地が悪そうで「何で、本部以外の人が会議に座るのか」との声が湧く。やはり、逆風は強い。でも、「何か恥ずかしいのか? 都合が悪いことがあるのか? ないなら、聞いてもらったらいいじゃないか」と押し返す。けっこう水準の高いことを論じているのだから、聞いて「研究開発本部会議は、水準が高いな」と言ってもらえばいいではないか、とも説く。

赴任前から、そんな絵を描いていたわけではない。「不透明なところを、透明にしよう」の一点で臨んだ。逆風が吹きつけるままやり方を一新し、いったんはゼロのような状態になったとしても、志があれば、また新しい芽は出てくる。そう信じて、研究開発領域の「選択と集中」も進めた。

その間、研究者たちがどう思っていたか、本心はわからない。最後まで「あいつ、許さない」と思っていたのかもしれない。ただ、問いかけは、クールにした。

「こちらが言っていることがダメと言うなら、それでいい。だが、反対するだけでなく、代案を出してくれ。もっといい案があれば、いくらでも検討する。ただ、自分は会社の存続と発展を考え、このほうがいいと思って提案した。代案がないのなら、とりあえず、丸呑みでやってくれ」

結局、着任前に18あった領域を、感染症、代謝性疾患(メタボリックシンドローム)、疼痛の3つに絞り込む。いずれも、他社が比較的手薄だった領域だ。無論、試験の時間管理も厳格にした。