ZEV規制は“骨抜き”に

1990年秋に、カリフォルニア州が定めたZEV(ゼロ・エミッション・ヴィークル=排ガスゼロ車)規制も、同様の圧力によって“骨抜き”にされていく。ZEV規制は大手メーカーに対し、販売量の一定以上をEV(電気自動車)など排ガスを一切出さないクルマにせよ、という規制。当局と業界との綱引きが演じられ一度は無力化していくが、90年のZEV規制により世界の大手自動車が、電動化へと動くきっかけとなった。

もっとも、現在EVのキャスティングボートを握るのは、90年当時に動き始めた日産やフォルクスワーゲンといった内燃機関を持つ大手ではなく、テスラや中国BYDといった内燃機関を持たない新興企業である。新興企業は、内燃機関を守る必要がない。

霞が関への陳情

地下鉄の赤坂見附駅の改札を出て、地上に上がってすぐのパチンコ店。鈴木修は2人の部下を従えて、店に入っていく。軍艦マーチがけたたましく響くなか、2人に500円ずつ軍資金を渡し、やがて台を決めて電動式ハンドルを握る。蟄居していた頃、歌舞伎町などでよく打ったが、当時はまだ手動で球を弾いていた。しかし、手動でも電動でも、大切なのは釘である。その向きや間隔の見極めが、ポイントだ。

鈴木修は、そう時間をかけずに千両箱を玉で溢れさせていく。軍資金を使い果たした部下の一人がやってくると、「好きなだけ持っていけ」と玉を与える。

どれくらい遊んだだろうか。もう一人の部下がやってきて、耳元で囁く。

「専務、時間です」

玉をタバコに換え、3人で分けて、店を出る。外堀通りでタクシーを拾い、この日は霞が関に向かう。パチンコをするのは緊張を一度ほぐし、深く集中するためだった。

「何とか延期してください」

鈴木修は、深々と頭を下げる。二人の部下も、後方からそれに続く。

環境庁(現・環境省)、通産省(現・経済産業省)、運輸省(現・国土交通省)と、日参を繰り返す。もっとも、日頃から忙しい官僚が、簡単に会ってくれるものではない。そんなときには受付で、「鈴木自動車工業の鈴木修が来たと、お伝えください」と係員に頭を下げ、名刺を置いていく。無駄なようにも思えるが、あながちそうでもなかった。溜まった名刺を捨てないで、とってくれていた高級官僚もいたからだ。

現場に赴いて、「なぁんだ」と帰ってしまえば終わってしまう。だが、小さくともアクションを起こせば、伝わることはある。