降伏後にイギリス軍から受けた仕打ち

終戦後にシンガポールでは一時3万数千人の陸海軍部隊が散在して作業隊を編成した。そのうち、イギリス陸軍と空軍に管理されたチャンギ、ウッドランズ、リババレー、アイルラジャ、ブキテマ、テンガ、セレター各作業隊の責任者は、元第七方面軍参謀長の綾部橘樹陸軍中将(陸士二七期、陸大三六期)であった。

一方、イギリス海軍管理下の本部、軍港、センバワン、ブラカンマチの各作業隊ははじめ元第一〇方面艦隊参謀長の朝倉豊次海軍少将(海兵四四期、海大二八期)が統制し、後に参謀副長の小野田捨次郎海軍大佐(海兵四八期、海大三一期)が引き継いだ。

降伏式を終えてシンガポールの市庁舎を後にする日本代表団(1945年9月12日)
降伏式を終えてシンガポールの市庁舎を後にする日本代表団(1945年9月12日)(写真=Trusler C/帝国戦争博物館/UK Government artistic works/Wikimedia Commons

この作業隊編成の経緯について先の田坂中将は、降伏式翌日にイギリス進駐軍司令部に呼び出された軍参謀の佐藤直大佐が、「明日八時迄に労役隊として一千人編成の二隊を昭南防衛隊で編成して埠頭に差出し、英軍の指揮を受けしめよ」と言われたと聞いて、「此時程強い衝撃を受けた事はない。今降服はしたものの、こんなことはあらうとは夢想もしなかつた」と回顧している。田坂は「労役隊」という呼び方に反発して、イギリス軍と折衝して「作業隊」という呼称に変更させたという。