江戸城本丸御殿で起きた大事件
意知が若年寄に抜擢されたのは、天明3年(1783)11月のことだった。若年寄は幕閣のなかでも老中に次ぐ重職で、老中が主に朝廷や大名に関する事柄を指揮したのに対し、旗本や御家人を指揮した。
3~5人ほどいて、たいてい少禄の譜代大名が就任した。だが、田沼家はまだ父の意次が当主で、意知は部屋住みの後継ぎにすぎない。年齢こそ35歳だったが、当主になる前の若年寄就任は、きわめて異例のことだった。
むろん、父の権勢があってのことで、「かような折ゆえ、風当たりが強くなることは必至」という意知の言葉は的を射ている。東北や関東が飢饉に見舞われ、米価が急騰する状況では、権力者はただでさえ批判され、恨みを買いやすい。そんななか露骨な世襲の権力継承が行われれば、「風当りが強く」なって当然である。
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