酒井忠勝の孫である大老の暗殺には黒幕が?
5代将軍・綱吉の時代、大老・堀田正俊刺殺事件
それから20年後の貞享元(1684)年8月28日、江戸城中奥御座の間にて、酒井忠勝の孫である大老・堀田正俊(1634~1684)50歳が、若年寄の稲葉正休に刺殺された。正休は、騒ぎを聞きつけ駆けつけた老中等にメッタ刺しにされ、死亡した。
堀田正俊は春日局の養子で、4代将軍・徳川家綱の死後、弟の徳川綱吉の擁立に尽力した。天和元(1681)年に大老に任じられ、「天和の治」と呼ばれる善政を行っていた。稲葉正休は正俊の父の従兄弟にあたる。原因は諸説あるが、はっきりしない。幕府の公式見解は「発狂したから」ということになっている。一説には、堀田正俊が邪魔になった綱吉が殺害を命じたとも言われており、小説『儒学殺人事件』の題材にもなっている。
堀田が殺され、綱吉は「生類憐れみの令」を発令
江戸城は大きく分けて「本丸」と「西の丸」で構成されており、本丸が将軍の居城、西の丸が将軍世子、もしくは隠居した将軍の居城にあたる。本丸はさらに「表」「中奥」「大奥」から構成されている。今風に言えば、表は公的な職場、中奥は社長・役員執務室、大奥は社長の私邸といった感じである。
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