疫病の流行や僧兵の跋扈、長谷寺焼失…この世の終わりが訪れた
いよいよ、末法入りとなった段階で、象徴的な事件が起きた。1052(永承7)年に起きた「長谷寺の焼滅」である。この年の8月25日、現在の奈良県にあった長谷寺の本堂が炎に包まれた。同寺のシンボルであった二丈六尺(約8メートル)もの本尊十一面観音像も完全に焼け落ちてしまったのである。
疫病の流行や僧兵の跋扈、長谷寺焼失……。当時の人々は、いよいよこの世の終わりが訪れたと、切迫感をもって受け止めたことだろう。平安時代の歴史書『扶桑略記』には、当時の社会の混乱の様子が記されている。
『永承七年壬辰正月廿六日癸酉。屈請千僧於大極殿。令轉讀觀音經。自去年冬疾疫流行。改年已後。弥以熾盛。仍爲除其災也。今年始入末法』
「1052年1月26日、1000人の僧を大極殿に招き、『観音経』を転読させた。昨年の冬からは疫病が流行している。今年に入って、さらに広がりを見せている。僧侶を招いたのは、この災いを除くためである。今年から末法に入った」(筆者意訳)
「1052年1月26日、1000人の僧を大極殿に招き、『観音経』を転読させた。昨年の冬からは疫病が流行している。今年に入って、さらに広がりを見せている。僧侶を招いたのは、この災いを除くためである。今年から末法に入った」(筆者意訳)
破滅的な社会状況が続くなか、人々は現世での救済を諦めつつあった。そして、「この世の苦しみから逃れて浄土へ往生したい」という願いを強く持つようになる。これが、阿弥陀如来を信仰する浄土信仰(浄土教)としてにわかに広がり、貴族などに支持されていく。
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