嫁ぎ先がない浄岸院を、8代将軍吉宗は自分の妻にしようとしたか

その前月、8代将軍に徳川吉宗が迎えられた。

吉宗は大奥の縮小化を図っており、行き遅れた竹姫の縁談を早急にまとめる必要に駆られていた。竹姫は25歳になっていた。一説には、吉宗は竹姫を自分の継室に迎えようとしたが、系図上は大叔母にあたる竹姫との婚儀を家臣らが必死に反対し、思い止まらせたという。

竹姫の相手としてターゲットにされたのが、薩摩藩主・島津継豊つぐとよ(1702~1760)である。島津継豊はすでに側室との間に嗣子・益之助(のちの島津宗信むねのぶ)をもうけており、将軍家から迎えた継室が男子を産むと御家騒動の元になるため、この縁談を断ろうとした。すると、吉宗は「竹姫が男子を産んでも、嫡子は益之助のままでよい」と、将軍家としてはこれ以上ないほど譲歩した。