「偽善っぽいチャリティは嫌い」歴代最低視聴率だった“24時間テレビ”をわずか1年で「V字回復」させた“立役者”《24時間マラソンとサライはこうして生まれた》(菅原 正豊,戸部田 誠/Webオリジナル(外部転載))
『「深夜」の美学 『タモリ倶楽部』『アド街』演出家のモノづくりの流儀』より
〈「おっぱいは表の文化でお尻は裏の文化」「こっちは和尻」「あっちは洋尻」テレ朝で40年続いた“伝説の番組”の“コンプラ度外視コーナー”誕生秘話〉から続く
1978年に始まったチャリティ番組『24時間テレビ』。今ではマラソンや楽曲『サライ』が代名詞となっているが、誕生したのは意外と最近のことである。当時は歴代最低視聴率を記録し、番組が踊り場に直面していた時期だった。『「深夜」の美学 『タモリ倶楽部』『アド街』演出家のモノづくりの流儀』(菅原正豊、戸部田誠著、大和書房)から一部抜粋し、お届けする。本文中の太字部分は戸部田誠氏による記述、それ以外は菅原正豊氏の語り。(全3回の2回目/前回を読む/続きを読む)
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1991年の『24時間テレビ』は歴代最低の視聴率を記録。だが、社会的に意義の大きいチャリティ番組を視聴率が悪いという理由でやめるわけにはいかなかった。そこで考えられたのが番組の抜本的なリニューアルだった。
菅原は、その1992年と続く1993年の総合演出に起用されたのだ。『24時間テレビ』で、局外部のディレクターが総合演出を務めるのは異例中の異例。「何としても変えて成功させる」という決意のあらわれだった。
結果、ダウンタウンを起用したリニューアル1年目の1992年に歴代最高視聴率を記録する。そして視聴率だけではなく、その後の番組テーマ曲となる『サライ』を生放送中に制作し、現在に至るまで続く、「歌」と「マラソン」を柱とするフォーマットを生み出したのだ。

