最後の鷹狩に同行した医師は、田沼意次が派遣した?
これまで見てきたように、家基には不健康なところはありませんでした。亡くなる同じ月にも「放鷹」や「鷹狩」を行っています。よって家基の急死には裏があるのではないかとの説も出てくるのです。『続三王外記』という書物も家基の死に裏があるのではないかとするものの1つです。
同書によると、家基の最後の鷹狩の際には池原雲洞(伯)という医師が随行していました。医師・雲洞は老中・田沼意次(演・渡辺謙)が家基に付けさせたということで、家基は意次により間接的に毒殺されたのではないかというのです。しかし、この『続三王外記』との書物の史料的価値は低いとされています。しかし、部分的に信用できるところもあると主張する学者もおります。(辻達也「田安宗武の籠居をめぐって――『続三王外記』の信憑性――」(『専修史学』24号、1992年)。では、意次が家基を殺害したとの風説や逸話は信用できるのでしょうか。
来日したドイツ人・シーボルトが書いた家基の落馬説
7年後の天明6年(1786)8月下旬、意次は老中を辞職することになりますが、それには将軍・家治の死が深く関係しているとされます。家治は同年8月25日に亡くなり、意次は8月27日に老中を辞職したのです。意次の権勢の根源は将軍・家治でした(藤田覚『田沼意次』ミネルヴァ書房、2007年)。つまり、意次の立場も家治があってこそと言えるでしょう。その家治の嫡男・家基を意次が殺害することは普通に考えてあり得ないと筆者は考えています。
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