「神社本庁」総裁はどうなるのか
筆者にとって伊勢神宮と同じくらい気になるのが、全国約8万社の神社を包括する宗教法人「神社本庁」への影響である。
神社本庁には「名誉を象徴し、表彰を行ふ(※神社本庁憲章第4条)」存在として総裁が置かれている。就任資格の規定はないが、神社界では昭和21年の発足当初から神宮祭主を総裁として奉戴することがほとんど当然視されていた。
しかし、ごく短期間とはいえ日本国憲法下でも先例がある皇族の神宮祭主とは対照的に、現役の皇族が神社本庁総裁になられた例はまだない。
先例主義が根深く残る宮内庁にしてみれば、先例が存在しないというその一点だけでもためらう理由になるかもしれない。
神社本庁を「政治団体」視した旧宮内省
さらにいえば、神社本庁の政治性も無視できない。神社本庁といえば、特に第2次安倍政権の時代には「右傾化の元凶」といったイメージを多くの人に抱かれていた。
これ自体は実態とかけ離れた虚像にすぎないが、紀元節復活や靖国神社国家護持、さらには元号法制化など、神社本庁が政治的目標を持って運動してきたことは事実である。この過去が皇族総裁へのハードルとなる可能性がないとはいえまい。
皇族が名誉職を引き受ける場合には一定の制約がある。昭和59(1984)年4月17日の参議院内閣委員会における当時の宮内庁次長の答弁によると、「政治的でないこと」や「宗教的活動と見られるようなものでないこと」などの基準があるという。
皇族祭主もありうるとするのみならず、新祭主の選任には「勅旨」という形で天皇の関与が必要だとする神宮規則を、そもそも宮内庁は長年了承し続けてきた。それゆえに宗教的活動については程度問題だろうけれども、宗教的どころか政治的ですらあるとなれば、また話が変わってこよう。
参考までに、戦中から戦後にかけての神宮少宮司・古川左京が次のようにGHQ占領期を回想していることを付しておきたい。
神社本庁総裁の座を、はたして今の宮内庁はどう考えるのだろうか。