思い出した「亡き夫との約束」

それから4、5日ほどでしょうか、雨戸を締めきったまま、心中しようとした気持ちを引きずって過ごしていました。時間も止まってしまったような空白でした。いろいろな思いが浮かんでは消えて……。

そんな中で、鮮明に思い出したことがありました。「子どもたちを頼む」、それは夫が出征前に残していった言葉です。「お金は全部使ってしまってかまわないから、とにかく子どもたちをよろしく頼む。子どもたちのことは、どんなことがあっても守ってくれ!」。

夫の、命をかけての願いを、わたしは忘れかけていたんです。「3人でお父ちゃんのところへ行こう」だなんて、とんでもないことでした。なんて馬鹿な考えだったんでしょうか。夫との約束を破るところでした。

やっと正気づいて、こんな弱虫ではダメだ、これまでの、実家、姉・兄・妹に寄りかかっている気持ちでいてはいけない。ここからもう一度、気持ちを入れ替え、わたし自身を立て直さなくては夫に申し訳が立たない。

「子どもたちを育てるために、どんなことがあってもくじけずにがんばる」。そう強く強く、心に決めました。そこからは弱い気持ちを断ちきって、「こうしてはいられない」と、わたしはその日すぐに、雨戸を全部開け放ち、店を再開させたんです。

「わたしが生まれ変わった記念日」に

学校から帰ってきた息子は、店に立つわたしを見て、全身の力が抜けてしまったようで、その場にへたり込んで泣いてしまいました。「お母ちゃんが、いつものお母ちゃんに戻ってる!」と言ってね。心中事件のあとは、授業中でも「もしかしたら、今頃、みっちゃんと2人で死んじゃってるんじゃないか……」と、気が気でなかったそうです。心底ほっとしたんでしょうね。本当に本当に、本当に申し訳ないことをしました。

箱石シツイ『108歳の現役理容師おばあちゃん ごきげん暮らしの知恵袋』(宝島社)
箱石シツイ『108歳の現役理容師おばあちゃん ごきげん暮らしの知恵袋』(宝島社)

「娘と息子と、一日も早くここを出よう。そして3人で伸び伸び楽しく暮らそう。そうなるようにがんばろう」。そう決意し、この日は、わたしが生まれ変わった記念日になったんです。

つくづく死なないで良かったと思います。子どもたちの命も奪って犯罪者になるところでした。ものごと、思い詰めていいことは1つもありませんね。それからは、自分を冷静に見る、もうひとりの自分を大切にするようになりました。

そして、下を向いて足元を見つめてばかりいないで、目線を上に上げていなければと気づきました。そうしないとね、心に光が入ってこないんですよ。

【関連記事】
【関連記事】14歳で選んだ腕一本で稼げる仕事…「107歳の現役理容師」は迷うことなく93年間ハサミを握り続けた
「こんなそば屋はすぐに潰れる」と言われたが…会社員を辞めた「そば打ち職人」が59年続く名店を作り上げるまで
40年間"事件取材の鬼"だった62歳が新聞社を退職し「短大の保育学科に入りたい」と告げた時の妻の辛口対応
持病の87歳夫を看取った82歳末期がん妻が念願叶って「同日」に他界…看取り医「佳代子さん、やるな」と呟いた訳
老齢医療の現場で医師は見た…「元気なうちにやっておけばよかった」と多くの人が死に際に思う"後悔の内容"