過酷な生活ゆえ、年季明けまで生き延びられる遊女は少なかった

『吉原失墜』という史料には、そもそも「遊女はたいてい14、15歳から22、23歳までに、年季が明けたり、身請けされたりするが、多くは死んでしまう」とあります。まず生き延びることができるかわからないという、厳しい現実があったことがみてとれます。

どうして遊女たちは次々と命を落としていったのか。はっきりした統計が残っている訳ではありませんが、やはり、その死因の多くは病だろうといわれます。

遊女が病に罹りやすかった理由として、しばしば、その生活の過酷さが挙げられます。遊女は客に応対している際、いくらご馳走が出されても、口をつけることは許されません。客の前でものを食べるのは、「はしたない」とされたからです。客と懇意になるとそうした縛りも緩くなったようですが、多くの遊女は客が寝静まった後に台所に忍び込み、残り物をつまみ食いをする「納戸飯なんどめし」をしていたといいます。そして日の出前には客を送り出し、わずかな仮眠をとって支度をしたら、昼からはまた見世にでなければなりません。