業績悪化が続いたマクドナルドは、いかにして回復を実現させたのか。法政大学の越智啓太教授は「大きな要因のひとつは価格戦略の見直しだ。ハンバーガーの値下げで一強状態を作り出したものの、弊害も大きかった」という――。(第1回)

※本稿は、越智啓太『買い物の科学』(実務教育出版)の一部を再編集したものです。

マクドナルド
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なぜマクドナルドはハンバーガー戦争の勝者になったのか

日本のマクドナルドにおける低価格戦略の変遷を振り返ってみましょう。マクドナルドは1971年に日本に上陸し、第1号店は7月に銀座三越1階の路面店としてオープンしました。4日後には代々木に2号店を出店しています(ちなみに1号店はその後、1984年の11月に閉店していますが、これは銀座商店街から「若者がハンバーガーを立ち食いする風景は銀座の『格』にふさわしくない」とクレームが付いたからだそうです)。当時の価格はハンバーガー単品で80円でした。

マクドナルドが大評判になったことと、このビジネスモデルは比較的参入しやすかったことから、1970年代前半に、同様の形のハンバーガーチェーンが次々にオープンしていきます。

この時期に展開されたバーガーチェーンとしては、「モスバーガー」「ドムドム(マクドナルドよりも前に開店)」「ウェンディーズ」「森永LOVE」「ファーストキッチン」「明治サンテオレ」「グリコア(江崎グリコ)」「雪印スノーピア」「サンディーヌ(日本食堂)」「バーガーキッド」「ロッテリア」などがあります。

これらのチェーンで提供される基本的なメニューは、ハンバーガー、ドリンク、ポテトのセットとほぼ同じで、消費者としても各チェーンを十分差別化できているわけではありませんでした。そのため、この業界は大混戦状態に突入してしまいました。「ハンバーガー戦争」が勃発したわけです。