神社では「おつりを出さない」が暗黙のルール

神社での楽しみのひとつに、お守りがあります。以前僕は「お守りを買おう」と思って、平気で一万円札を出していました。

すると神職のかたに「神社ではおつりが出ないようにするものですよ」と言われてビックリ! お守りは「売られて」いるのではなく「頒布はんぷ」されているものだったのです。

頒布とは、配って広く行き渡らせること。そもそもお守りとは、神様の力を参拝者が持ち運べるよう、神職のかたが宿らせ、分け与えてくれているもの。「販売品」ではなく「授与品」です。そのため、お守りは「授与する」または「頒布される」と言い、お金は「納める」、私たちは神様の力を「受ける」「授かる」と言います。

昔は、お守りを受ける人が自発的に「お気持ちのお金」を納めていたそうです。

ただ、それではわかりにくいので、神社側が「800円」などと提示するようになりました。これは、お守りの材料費や人件費などを考慮した最低金額なので、それ以上であればいくら納めてもかまいません。

ゲッターズ飯田/佐々木優太著『幸せ舞い込む! あなたの開運神社』(朝日新聞出版)
ゲッターズ飯田/佐々木優太著『幸せ舞い込む! あなたの開運神社』(朝日新聞出版)

これは僕の感覚ですが、「買った」と言うと、その金額に見合った「効き目」を求めてしまいませんか? 「買う」という行為は、商品と金銭の等価交換。しかし、神様の力は対価では表せないものです。そもそも効き目を求めるものでもありません。

僕は、「納める」や「受ける」と言うようになってから、お守りに効果効能を求めなくなりました。そして感謝の気持ちしか出てこなくなりました。

これだけ気持ちがガラリと変わった僕の経験に興味をもってもらえるなら、お守りを「買う」ではなく「受ける」と言ってみてください。きっと神様のお力を受けとれるようになりますよ。

神社で開運できる人、できない人

神社巡りが習慣になると、「神社で不思議な力がもらえる」といった話も聞くようになりました。一方で、開運しない人もいるんです。それはなぜか。自分なりに答えを見つけたい。そんな思いが、僕をより神社巡りへと向かわせました。

おもしろいのは、「こうしなければいけない」といった決まりがないこと。それゆえに振る舞いや心持ちをほんの少し変えるだけで、いままで“なんとなく”足を運んでいた神社が、まるで違って見えるようになり、力を貸してくれるようになります。うまくいっていなかった僕が、いまこうして幸せを感じているように――。

神社の鳥居の間に見える富士山
写真=iStock.com/magicflute002
※写真はイメージです

日本には、8万社以上の神社があり、我々は開運スポットに囲まれて暮らしています。ただ、開運スポットにできるかどうかは、その人次第。

古くから日本に根づき、ご先祖様たちから受け継いできた神社参拝には、生きるうえでとても大切なことが詰まっています。

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