紅白史上最大の存続危機が起きたワケ
今年で75回目を迎える「NHK紅白歌合戦」。視聴率は低落傾向にあり、2023年は前半が29.0%、後半が31.9%(関東地区世帯視聴率。ビデオリサーチ調べ。以下同じ)といずれも番組史上最低だった。このままいけば、番組の存続や大幅な改革をめぐる議論が高まる気配もある。だが実は、「紅白」にとってそのような状況は初めてではない。それはいつのことで、どのようなものだったのか。
「紅白」史上最大の存続危機。それは、1989年に起こった。
当時NHK会長だった島桂次が、同年4月就任時に「「紅白」をやめて、大晦日に国民的行事となるような新しい番組を考えられないものか」と語り、さらに9月の定例会見の場で「紅白歌合戦は今年で最後にしたい」と発言したのである(合田道人『紅白歌合戦の真実』)。
実際、この頃「紅白」は揺れていた。公共放送としてのあるべき番組編成をめぐる議論の高まり、「紅白」担当プロデューサーの制作費使途に関する不祥事、そしてなによりも視聴率の低落傾向がはっきり見え始めていた。
1988年の視聴率は53.9%。いまの感覚だときわめて高いが、1984年には78.1%もあった視聴率は翌1985年に60%台となり、さらに1986年以降は50%台と急速に下がり始めていた。
こうしたなかでの島発言だったわけである。島自身、芸能畑ではなく報道畑ひと筋で会長になった人物。そして当時、世界も日本も歴史的な転換期を迎えていた。
海外では、戦後の基本秩序である東西の冷戦構造が大きく揺らぎ出していた。1989年11月にはベルリンの壁が崩壊。さらに翌年にはドイツ統一があり、冷戦の終焉へとつながっていく。
一方日本では、1989年初めに昭和天皇が崩御。新たな元号として平成が定められた。敗戦からの奇跡的な戦後復興、そして高度経済成長を達成した激動の時代。そのなかにテレビの普及や「紅白」の国民的行事化もあった。その昭和が終わったのである。
こうして番組の終了という可能性が現実的に浮上するなかで、1989年の「紅白」は制作された。奇しくもこの年は、第40回という番組節目の年でもあった。