「お金」も本来は手段に過ぎない
「手段の目的化」の最たる例は、お金です。
お金は本来、モノやサービスと交換するためのツールに過ぎませんが、それを得ること自体が目的になっている人がかなりいます。
ですが、「お金持ちになりたいからお金がほしい」という状態だから、「これをやると儲かりますよ」と寄ってくる人たちに引っかかりやすくなるわけです。
結果、よく理解もしていない株や仮想通貨などの金融商品をすすめられたり、「ラクして儲かる」と謳うたう商品やサービスを購入したりして、大事なはずのお金をむしられてしまう。
それはやはり、手段であるお金を得ることを目的にしているからです。そうではなく、大切なのは、自分のやりたいことや得意なことを誰かに提供し、その対価としてお金を得ることのはずです。
時間とは命そのもの
そして、それは「とにかくうまく話せるようになりたい!」と、コミュニケーションの上達自体が目的になったときと、まったく同じ構造と言えます。
「じゃあ、こうすればうまく話せるようになりますよ」という人に搾取されやすくなるし、必ずしも悪意を持ってお金を取られるわけではなくても、少なくとも、あなたの貴重な時間を奪われることになります。
なぜなら、やはりここにも「目的」がないからです。「どんなときに」「どんな場面で」「どんな人たちと」「なんのために」「どのように」「どの程度まで」うまく話せるようになりたいのか──それらを突き詰められていないということです。
ご存じのように、時間はお金とは比べようもないほど貴重です。お金は減ってもまた増やすチャンスがありますが、過ぎ去った時間は取り戻せません。
時間とはあなたの命であり、人生そのものなのです。
そんな貴重なものを、目的もよくわからないものに差し出してしまう人があまりに多いのは、繰り返しますが、ひとえに「なんのためにそれをするのか」という目的を突き詰めていないことに尽きるのです。