電気がバーンと消えて、世の中が暗くなった感覚

知佐子にはこの日、片づけなければならない仕事があった。そこで後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。自宅で仕事をしていると哲郎からLINEで連絡が入った。

「エコー(検査)をしたら、お腹の中に何かあるって。私、もう手が震えていました」

病院に戻ると医師は検査画像を指差してこう言った。

――腎臓が黒い塊で押し上げられていますよね。神経芽腫しんけいがしゅの疑いがあります。

神経芽腫は、神経細胞、メラニン細胞などになるはずの「芽」である「神経堤しんけいてい」が、成長の途中で異常に増殖することで起きる。腎臓の上にある副腎、あるいは交感神経節から発生し、近くにあるリンパ節に転移、大きな塊となって腎臓などを取り囲む。小児がんの中では、血液がん(白血病、リンパ腫)、中枢神経系胚細胞腫瘍はいさいぼうしゅように次いで多い。

1歳半未満で発見された神経芽腫は自然と腫瘍が小さくなる症例が多く、予後は良い。一方、1歳半以降に発生した場合、見通しは暗い。

「説明を受けたのは夜の7時半ごろ。私の記憶では真っ暗の中にパソコンの画面だけが光っていた。電気がバーンと消えて、世の中が暗くなったような感じでした」

面会時間は夜8時までだった。急いで病室に行くと、蹴は正気を取り戻していた。

「痛み止めが効いてもう超元気。入院になっちゃった。ママは帰らなければいけないけれど大丈夫?って言ったら、わかった、バイバイって平気なんです」

自宅に戻ると、たまっていた感情が一気にあふれてきた。どういうこと、なぜ蹴だけがこんな目に遭うのと、哲郎と抱き合って泣いた。

「骨にいる悪い塊さんをお薬でやっつける」

2月19日、蹴は世田谷区の国立成育医療研究センターに搬送され、精密検査を受けた。すると、「ステージIV」――腫瘍が全身の骨に転移しており、5年以上の生存率は15、6パーセントだという。

「最初はピンと来なかった。しばらくして、ああ、15、6パーセントもあるんだって思ったんです。どんどん新しい薬や治療法もできるはず。5年間で世界は変わる。希望って使い古されたチープな言葉なんですけれど、人は希望がないと生きられない」

化学療法(抗がん剤治療)、自家末梢血幹細胞まっしょうけっかんさいぼう移植、放射線治療と畳みかけるように治療を進めることになった。大量の化学治療を行うと骨髄にある正常な造血細胞まで根絶してしまう。

そこで骨髄の幹細胞を薬剤で静脈に導き出し、専用機器で造血細胞を回収。化学療法の後、静脈から造血細胞を再注入し、骨髄にこの造血細胞を根付かせる。これが自家末梢血幹細胞移植である。

蹴は5月に造血細胞を取り出し、7月に戻すことになった。その後、原発腫瘍を摘出し、放射線治療を行う。

「私の父が、がんで亡くなっているんです。がんと言うと蹴が怖がる。だから、蹴のお腹の中に悪い塊さんがいる、その悪い塊さんがあちこちの骨に散らばっている、お薬で骨にいるのをやっつけると説明しました」

誕生日には退院させてもらうように先生に話しておくね、一緒に頑張ろうね、とつとめて明るく言った。そして、約束通り10月4日、すべての治療を終えて蹴は退院した。寛解かんかいとの診断だった。

病院で小児科医と話している母と息子
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