高校1年生にして145キロ近くを投げる

全国高等学校野球選手権大会は、スターを生み出す大会だ。アメリカで言えば、大学バスケットボールの全国大会であるNCAA男子バスケットボールトーナメント、通称「マーチ・マッドネス」に相当する国民的な大会だ。強豪校は全国から優秀な選手を集め、大会で活躍した選手は全国的に有名になる。

大谷は、大阪や横浜のような大都市の強豪校に進むこともできた。だが、地元に留まり、自宅から約20マイル(約32.2キロ)離れた場所にある、花巻市の花巻東高校を選んだ。同学校の野球部は岩手県出身の選手だけで構成され、埼玉西武ライオンズ(当時)の左腕投手・菊池雄星の出身校として全国的にその名を知られている。

「地元に愛されるチームになりたいんです」と、前述した同校野球部の佐々木監督は言う。「目標は、県出身者だけで日本一になること」

大谷は1年生のときから、守備ではライト、攻撃ではクリーンナップを担って試合に出場した。1年生の秋にはマウンドに上がり、時速90マイル(約144.8キロ)の速球を投げるようになった。

愛犬のデコピンと“息ピッタリ”のポーズを決める大谷翔平
画像=WALLY SKALIJ/ロサンゼルス・タイムズ、『OHTANI`S JOURNEY』より
愛犬のデコピンと“息ピッタリ”のポーズを決める大谷翔平

佐々木監督が大谷に与えた日課とは

「まだ筋肉が発達していなかったのに、あんな球を投げられたんです」と佐々木監督は言う。大谷は父親から、速い球を投げるための効果的な体の使い方を教わっていた。

佐々木監督は、大谷にご飯をどんぶり何杯も食べさせ、他の選手が手をつけなかったおかずも食べさせた。「彼は、満腹でもう一口も入らなくなるまで食べていました」

成長期に伴う左股関節の怪我のために高校2年のシーズンは満足に投球できなかったが、3年時には時速99マイル(約159.3キロ)を記録し、全国的な話題となった。

彼は、後々役に立つ教訓も学んだ。

花巻東の野球部の選手たちは校内の寮に住み、年に6日だけしか実家に帰らない合宿生活を送る。佐々木監督は選手たちに寮生活での役割を与えている。ピッチャーの仕事は「トイレ掃除」だ。

佐々木監督は将来のスターである大谷に「トイレ掃除」を課したという
画像=GINA FERAZZI/ロサンゼルス・タイムズ、『OHTANI`S JOURNEY』より
高校野球もプロ野球でも、最も注目を浴びるのはピッチャーだ。佐々木監督は将来のスターである大谷に「トイレ掃除」を課したという