東京が地方に「依存」している

一般的に「地方は東京に依存している」と揶揄されがちだが、実際には「東京は地方に依存している」と表現するほうが適切である。

東京は地方から若者を吸い上げて肥え太り、地方の発展や人口動態の先細りを加速させることをひきかえにして「豊かな街」を維持している。もちろん東京という街の豊かさは東京に移り住んだ若者たちに還元されているわけではなく、そこで暮らす金持ちの皆さんの金融所得や不動産所得(あるいは地方に交付される助成金・補助金)に変わっているわけだ。

政府がなぜ東京都心部の大学の入学定員を規制したか。それをなぜ「地方創生」の文脈で実施したか。これでもうお分かりだろう。大学進学率が高まった現代社会において、東京に散在する(有名)大学群こそが事実上の“ストロー”のようになっているからだ。大学が東京にあることで、それが地方から若者を吸い上げるパイプラインの役割を果たしてしまっているからだ。

講義を受ける学生たち
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だれでも包摂する「おおらかさ」が東京にはある

東京は若者にとって日本でもっとも魅力的な街のひとつだが、若者たちにとってはもっとも貧しい暮らしを強いる街のひとつでもある。東京の見た目上の豊かさは一部の人に独占されていて、安い労働力として搾取される人びとはライフステージの「先」を描くことすらできない。言い換えれば、東京はそういう「先の見えない若者」を大量生産することによって、表面的な華やかさを維持しているのだ。

それでも東京に来たがる人が後を絶たない理由もわかる。必ずしもお金の問題ではないのだ。故郷の街の気候とか風土とか文化とか人間関係とか、そういうのがイヤで、いちど「まっさら」にリセットしたくて東京にやってくる人も少なくない。見方をかえれば、東京はなんらかの理由で地元にいられなくなった人でも温かく包摂する。そういう大らかさを持っているともいえる。