泣きながら見届けた最終回
小倉さんは、私が文春の担当編集者の連絡先を書いた紙を差し出しながらインタビューのお願いをするのを椅子に前傾しながら静かにお聞きになり、
「河崎さん、いままで番組に協力してくださってありがとうございます。インタビューの件もよくわかりました。マネージメントとも相談するので、彼に連絡先を渡してください」
と、いつも小倉さんの楽屋の前で献身的に待ち続ける大柄なマネージャーさんの方を優しく指した。
マネージャーさんに「お願いします」と託した私は、その後「とくダネ!」の最終回を自宅で泣きながら見届ける。画面の中のベテランコメンテーターさんたちも、局アナさんたちも、みんな泣いていた。
彼は文春を許していなかった
間をおかずして、文春オンラインの編集者から悔しさの滲む連絡をもらった。「小倉さんインタビューの件、事務所から文春編集部への公式なお断りをいただきました」
「小倉さんは、文春を許していらっしゃらなかったんだ……」。担当編集者と、週刊誌ジャーナリズムの業を噛み締めた。優れたメディア人は、自らがそこを主戦場に闘い、傷を負い、生き残ってきたからこそ、他のメディアのやり方や姿勢に仁義を問う厳しい視線を失わない。
勇退したから、一線を引いたから、だから基準が甘くなったりなぁなぁになるなんてことではないのだ。
私は、小倉さんの凄みはむしろ「とくダネ!」を勇退してからの3年の過ごし方、揺らがぬ仕事の選び方にこそ感じた。本当にメディアで闘い、メディアで自らの姿を見せ続けてきた人の、最後の粋。
ひとの晩年の生き様とは、それまでの答え合わせなのかもしれないと、最近になって感じさせられる。小倉さんが病から解き放たれたいま、安らかに眠られるように、あの世で素敵な音楽と映画に囲まれて楽しく暮らされるようにと、私は勝手ながら満腔の敬意をもって祈っている。