法律の条文を見せると意外な反応が…
2週間後、そのAさんは女児とともに児童相談所を訪れた。そして、担当の児童福祉司がその後の様子を聞くと、Aさんの虐待は収まるどころか、ますますエスカレートしていたのである。
それを知った児童福祉司は呆れた様子で、「あれほど言ったじゃないの。娘さんにもっと愛情をかけてあげてと……」とやや感情的となって母親に訴えた。すると、今度はAさんの方が児童福祉司に対して、「私なりに愛情をかけたつもりです。それがなぜいけないのですか?」と言い返してくるのであった。
Aさんと児童福祉司のかみ合わない、ちぐはぐなやりとりがしばらく続き、児童福祉司も埒があかないと思ったのか、執務室にあった六法全書を持ってきて、「お母さんのやっていることは、ここに書かれてあることなのよ」。
児童福祉司が指し示した六法全書の箇所は、傷害罪について書かれてある刑法第204条の「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」という部分である。それを目の前で母親のAさんに読ませたところ、Aさんはそれまでの様子とは少し違い、何か思い当たるところがあるかのような態度となり、「これからは娘を叩いたりして怪我などさせません」と意外にも素直に述べるのであった。
「愛情をかける」の意味が適切に伝わっていなかった
児童福祉司はひとまずAさんの様子を見てみようと、この日もいったんは娘とともに家に帰ってもらい、やはり2週間後に再度会うことにした。すると、2週間後に再会したとき、Aさんは娘に一切暴力は振るわなくなっており、怪我や痣も認められなかったのである。
娘にそれを確認したが、Aさんはあれから手を上げることはなかったと述べた。このエピソードを聞くと、「この母親は身体的虐待をしていると傷害罪で警察に検挙され、処罰を受けるので暴力など振るわなくなった」と誰しも思うのではないだろうか。
実際、筆者も最初はそのように感じた。しかし、よくよく聞くと、この児童福祉司はそれまでにも、Aさんが子どもにしていることは法律に抵触して警察に捕まる可能性があることを告げていた。それなのになぜそのときは虐待が止まらず、六法全書を読んでから行動が変わったのだろうか。
実は、このAさんは自閉スペクトラム症があり、他者の立場に立てず、相手の気持ちを理解したり配慮したりすることが苦手なところがあった。知的な能力は標準的であるにもかかわらず、抽象的なことを理解するところは一般の人よりもかなりずれていた。そのため、「愛情をかけてあげてください」という児童福祉司の言葉の持つ意味がしっかり伝わっていなかったのではないかと考えられた。
現に、Aさんは「愛情」とはどういうことを示すのか、それを示す行動とはどういったことなのかをよくわかっていなかったのである。それが児童福祉司との面接でも何か所か見られた。