学校立て直し人。つまり、学校経営専門のコンサルタントがいることをご存じだろうか。守屋博子さんは、そのひとり。70歳になろうかというとき、学校の現場に入った。今は、この思いに尽きるという。「人のために尽くしたい」。
72歳、がんを患っている。
クリスチャンである。妻であり、母である。会社の役員である。苦境にあえぐ地方私立校の学園長である。愛され、頼られて、いくつもの顔を持った。
家族と離れ、守屋博子が単身で福島に乗り込んだのは69歳のとき。これが最後の仕事になる、そう思った。
人生最初の分岐点は18歳。「地元の国立大学に行くなんてつまらない。私らしくない」と選んだのが、カトリック系の女子大だった。入学して、面食らう。修道女が「あなたは大切な方です」と真顔で言うからだ。ピンとこなかったが、ほどなくカトリック教育を理解した。
卒業後はそのまま大学に残り、英語を教えた。5年ほどで辞め、大阪万博の職員になる。世界中の人と会い、「アジアのエリートはアグレッシブで、抜群に英語がうまい。きっと、日本人は負けてしまう」という焦燥感が残った。
1971年、知人が大学生や高校生の海外留学を支援するビジネスを始めるというので、手伝うことになった。それが今も役員を務める会社だ。国際社会で活躍できる人を育てたい、その思いは当時から今日にいたるまで、ゆるぎない。
海外留学に興味を持つ学校があると聞けば、どこへでも飛んでいった。訪ねれば訪ねるほど、学校の情報が手に入る。こんなふうに成功している学校がありますよ、営業先で話すと想像以上に喜ばれた。やがて、学校のコンサルティングを頼まれるようになる。
依頼が後を絶たず、会社にコンサルティング部門をつくることになった。仕事は充実していた。その分、寝不足で運動不足。朝と昼の食事をほとんどとらず、酒を飲みながら夕食をたらふく食べるアンバランス。振り返ると、不摂生すぎた。
体が強いほうではない。不思議と風邪ひとつひかなかったが、55歳のときに受けた何年かぶりの健康診断で、乳がんが見つかる。医師は末期の一歩手前だと告げた。こう聞き返すしかなかった。私はあと何年生きられますか?