悠仁さまが幼少期から受けてきた帝王教育
神道研究家の高森明勅氏は、悠仁さまは帝王学を学んでおられないというのだが、伊勢神宮、神武陵、武蔵御陵に初めて参拝されたのは、幼稚園児のときで、愛子さまは中学校に入ってからだ。
沖縄は小学1年、長崎には4年のときにご両親と、広島にも6年生のとき紀子さまと訪問され、平和の尊さを学ばれ慰霊を行っておられる。さらに、中学生の時には上皇陛下のご指示で半藤一利氏から戦争についての講義を受けておられる。
外国の皇室との交流にも熱心で、ご両親とともにブータンを訪問され、国王ご一家と親交を深められた。
11月30日に59歳の誕生日を迎えられた秋篠宮さまの記者会見(11月25日)では、「将来皇位を継承されるお立場である悠仁さまへの期待をお聞かせください」という問いに対し、「一つ一つ自分が関わる仕事を大事に思って、取り組んでほしい」とされ、幼少期からの帝王教育を説明された。また、ご夫妻の記者会見では記事冒頭に触れたように、早い時期に海外留学をすることの重要性を話された。
上皇陛下ご夫妻とは赤坂御用地で頻繁に接触されているし、成年行事以降は、天皇陛下との接触も多くなるだろう。帝王教育の遅れなどない。スポーツにも熱心に取り組まれ身体頑健だし、学業も屈指の進学校である筑波大学附属高校で少なくとも普通のレベルだ。
愛子さまと比べたがる人たちの“盲点”
悠仁さまが成年のとき、お祝いへの御礼として簡単なメッセージが公表されたことを、高森氏は20歳で成年したときの愛子さまのお言葉と比べて中身がないと批判する。しかし、愛子さまが成年の前月にするべき記者会見を準備ができてないと4カ月延期したのち、練りに練って出されたお言葉とは年齢も意味合いも違うので、比べるべきものでない。
一方、愛子さまが「国民のなかに」という天皇皇后両陛下のお気持ちを実践されていると高森氏は言うが、両陛下の公務の量は皇后陛下の体調を考慮し、上皇陛下の時代から激減している。国体など地方行幸啓は、原則2泊3日だったのが1泊2日になった(英国訪問でも食事のほとんどを両陛下だけでされている)。
歴代天皇にはそれぞれ哲学がある。昭和天皇は慈愛に満ちた仰ぎ見る君主だった。上皇陛下はストイックで国民の中に入って交流を重ねられた。今上陛下は家庭人としての生活も大事にする良き夫であり、父親としての模範的な姿を示され、新型コロナ禍の時もご自分に会うために人が集まっては迷惑をかけるとされた。
両陛下は愛子さまのマイペースでのご成長を尊重されているが、天皇という仕事は決められた時間に決められたことを余裕をもってすべきものだから、女帝の可能性があるなら、別の教育方針をとられていただろう。