岡山県玉野市で漁業を営む富永邦彦さん・美保さん夫婦は、2019年から注文が入った分だけの魚を獲る「完全受注漁」をはじめた。仕事時間は半減し、収入は2倍に増えたという。なぜ受注漁をはじめたのか。インタビューライターの池田アユリさんが富永さん夫婦に取材した――。
魚嫌いだった青年と、彼を信じ続けた妻の漁師物語
岡山の三大河川と呼ばれる吉井川と旭川に面した、岡山県玉野市の胸上港。この漁港では春から夏にかけてハモ、クロダイ、サワラなどが収穫できる。また、冬の期間は良質なミネラルを含んだ海苔が育つことから、海苔の養殖・加工が行われている。
瀬戸内海に面したこの小さな港に、国内外のメディアで注目されている漁師の夫婦がいる。
取材に向かった場所は、胸上漁港の一画にある海苔加工所の邦美丸だ。そこで漁業を営んでいる富永邦彦さん(37)は、漁に出かけるたびに日焼けするのだろう。肌はこんがりと焼け、Tシャツの袖から覗く腕は筋張っている。続いて、妻・美保さん(37)と次男である5歳の少年もやってきた。
2019年、2人は「漁師の過酷な労働環境を変えたい」「地元の水産資源を守りたい」と考え、消費者から注文が入った分だけの魚だけを獲り、残りの魚は海にリリースする「受注漁」を始めた。その結果、船の操業時間が半分に短縮され、一方で売り上げは2倍になった。
富永夫妻は14のビジネスコンテストで受賞し、首相官邸で表彰されたこともある。イギリス公共放送BBCに取り上げられ、台湾の経済フォーラムでスピーチも行った。これらの経歴を見て、筆者は「きっと、カリスマ性のある特別な人に違いない」と思っていた。けれど、対面した2人はどの田舎町にもいるような、普通の漁師さんだった。
海辺で遊んでいた少年が網を持ってやってきて、「見て! カニつかまえた」と得意そうに笑う。美保さんが「大きいなぁ。カゴに入れたり」と言葉を返す。その姿を邦彦さんが見守っている。このおだやかな日常を手に入れるまで、15年の月日がかかった。それも、行き当たりばったりで、挫折まみれの道のりを――。
これは、魚が嫌いだった青年と、彼を信じ続けた妻の奮闘記である。