後日、美保さんの父親・藤原さんが仕事終わりの頃を見計らって会いに行き、「もう一度やりたいんじゃ」と頭を下げた。すると、藤原さんは少し笑いながら「わし、一度裏切られとるけんなぁ」と言いつつ、邦彦さんのカムバックを受け入れた。
辞めた当初は勘当するほど怒っていたのに、なぜすんなりと承諾してくれたのか。じつは勘当されて間もないうちに、美保さんが父親との関係を修復しようと家業を手伝っていたのだ。それは「夫が漁師に戻るかもしれない」と思ったからではなく、子どものためだったという。
「父に娘を『孫じゃない』って言われて、すごく傷つきました。でも、子どもにとっては、大切なおじいちゃんです。親の都合で疎遠にさせたくなかったのが大きかったです」
美保さんは、自分たちが製品化した海苔の販売も続けていた。育児の傍ら、「取引先の分だけは続けよう」と海苔の袋詰めと配送手配を行っていたのだ。彼女の姿を見て、藤原さんは父親として受け入れる気持ちになったのかもしれない。こうして、邦彦さんは漁師として胸上港に戻った。
「10年先も漁師を続けられるか?」
戻って来たからには、もう後戻りはできない。
「10年先も漁師を続けるようにするには、どうしたらいいか?」
邦彦さんは、頭の中でこの問いを繰り返すようになった。まず、挫折した理由を考えた。漁師たちと良い関係を築くことが先決だと考え、邦彦さんは大阪弁を封印し、岡山弁を誰よりも話せるようになろうとした。「不思議なもので、方言に慣れると、今まで怖かった漁師たちの印象がガラッと変わりました」と邦彦さん。苦手だったお酒も覚え、漁師たちと飲みに行くことが増えた。
2015年2月には、中古の小型船を購入。船名を「邦美丸」と名付け、漁師として再スタートを切った。しかし、漁師の長時間労働は以前と同様のままだった。天候や水揚げに振り回されて、休みを取ることさえ不安になる日が続く。
ある日、沖に戻った邦彦さんは、テレビのニュース番組に目を留めた。そこで、ドラマ「ファーストペンギン!」のモデルとなった水産会社の社長が消費者に魚を直販していると知る。