ノリと勢いで漁師になる

大阪府枚方市出身の邦彦さんと岡山県玉野市出身の美保さんは、2005年夏、18歳の時に友人の紹介で出会った。邦彦さんはテレビドラマの影響でプロボクサーになろうと、ボクシング部がある高校に進学。だが、視力の悪さが仇となり挫折。2カ月で高校を中退した。

美保さんは子どもの頃から獣医を目指していたが、高3で重度の動物アレルギーを発症し、目標を失った。失意のうちの2人であったがお互いに惹かれ合い、大阪と岡山での遠距離恋愛が始まった。

2人でいた時、お互いの家業の話になった。美保さんが「うちの家、漁師してる」と言い、それを聞いた邦彦さんは「漁師!? めちゃめちゃかっこいいやん」と目を輝かせた。突然出てきた職業に興味をくすぐられたのだ。

漁をしている邦彦さん
写真提供=富永さん
船上の邦彦さん。漁師の娘・美保さんとの出会いから漁師の世界へ飛び込むことに

ただ、邦彦さんは子どもの頃から“大の魚嫌い”だった。

「虫が苦手なのと似た感覚で、さわれないですし、食べられなかったです。家で夕飯に魚料理が出ようものなら、その日は帰らなかったくらいダメでしたね。学生時代に流行り始めた回転寿司に誘われても、食べられるものはコーンの軍艦巻きだけでした(笑)」

筆者が「魚が嫌いなのに、なぜ漁師になろうと思ったんですか?」と聞くと、邦彦さんは「うーん、なんでかなぁ」と首をかしげる。その横で、美保さんがおかしそうに笑いながら代わりに答えた。

「彼は、いいなと思ったらノリと勢いに任せてすぐに飛びつく人でして(笑)。うちが漁師一家だと知ってすぐ、バックパッカーみたいな荷物を背負って、父の仕事を見学しに来たんです」

2007年の成人式後、邦彦さんは美保さんの父・藤原良二さんに弟子入り。翌年に2人は結婚した。

朝3時起床、16時間船に乗り、深夜は市場へ…

胸上港の漁師たちは、4~9月は底引き網漁を、10~3月は海苔養殖を行う。胸上は2つの川が流れ込む海苔の好漁場で、県内一の海苔の生産量を誇る。

海苔養殖
写真提供=富永さん
湾内にある海苔の養殖場

季節を分けて行うのは、冬の時期に良質な海苔が育つことと、魚を獲り過ぎることで海の生態系を崩さないようにするためだという。この伝統を代々引き継いできた義父の下、邦彦さんは漁師になるべく修業を積んだ。

漁師の仕事は、想像以上に過酷だった。朝3時から16時間ほど漁船で働き、深夜に市場へ魚を卸す。24時間フル稼働で、邦彦さんは「漁師って大変すぎん?」と思った。

言葉の壁にもつまずいた。大阪出身の邦彦さんは聞き馴染みのない岡山弁が理解できず、年上の漁師たちに委縮した。「2回は聞き返すけど、結局わからないわけですよ。雰囲気でいくしかなかったです」と邦彦さん。「漁師たちはエンジン音が鳴り響く船の上で作業をしてるから、普段も怒鳴っているように聞こえちゃうんです」と美保さん。

2009年1月、邦彦さんは「岡山の海苔は生産量のわりにあまり知られていない」と感じていた。美保さんも離乳食の頃から実家の海苔を食べており、「この美味しい海苔を多くの人に届けたい」と思っていた。

そこで、自分たちで海苔を販売すべく、個人事業として「邦美丸」を立ち上げる。この屋号は2人の名前にちなんで名付けた。まだ大人になり切っていない、22歳の時だった。

船内
写真提供=富永さん
船内の様子。4~9月は底引き網漁のシーズンで、想像以上にハードだったという
網を巻き上げる邦彦さん
写真提供=富永さん
網を巻き上げる邦彦さん