仕事中に自分のための勉強をしてはいけない
また、禅寺のお坊さんが、自らの悟りのために座禅をしているのであれば、それも「人のため」ではありませんから、道楽だというふうに、漱石は解釈しているわけですね。
すなわち、行動そのものが真面目かどうかではないのです。
お坊さんが座禅を組んでいるのは真面目ですが、それでも道楽だという考えです。だから、仕事の時間に「自分のための勉強」をするのは、どんなに真面目な勉強でもあってはならないのです。
多くの場合、知的生産とは仕事以外の時間、つまり夜に行うものなのです。
就寝中に脳が「最適化」し、知識が定着
私には、記憶は夜のほうが定着しやすいという実感があります。
寝る前に大量に記憶して、寝ている間に頭の中で勝手に整理をしてもらう。寝ている間に脳は、パソコンでいう「最適化」の作業を行ってくれるのです。これを私は「お任せ勉強法」と呼んで、学生時代から実践していました。
夜、力尽きるギリギリまで勉強をして頭に詰め込み、バタンと眠りに入ってしまうと、朝起きたときに、不思議と勉強した内容が整理されて頭の中に定着しているのです。
夜にものごとを大量に覚えると、夢の中でも思い出すことがあります。
たとえば、寝る前に見たホラー映画の内容を、夢でそのまま見てしまうということがありますよね。同じように、寝る直前まで仕事をしていると、寝ている間も頭の中でそれがなんとなく続いていて、寝ている間に新しい発想が生まれることもあります。
『論語』に、「久しいかな、吾れ復た夢に周公を見ず」という言葉があります。
周公とは聖人です。それを最近、夢に見なくなったと、孔子は言うのです。
これは自らの衰えを嘆く言葉です。
自分が仰いでいる聖人である周公を、昔は夢に見ていたのでしょう。それを最近、夢に見ない。それは自分が衰えたからだと反省しているのです。
孔子のように、「夢に見ないようなものは本気ではない」と考えて、知識を詰め込む。すると寝ている間に頭の中で最適化されて、知識が定着していきます。