地位を守ろうとする団塊の世代の犠牲に

成長がストップしてしまい、不安にさいなまれるとき、誰もが手元にあるものを必死に守ろうとします。経済面で見れば、土地や建物といった資産や収入源である仕事がそれにあたるでしょう。

あの90年代において、社会を動かす50代、60代だった団塊の世代の多くにとっては、それが「正社員」というステータスだったのかもしれません。これを維持しようとした時、犠牲になったのは社会に出たばかりの若者たちでした。今、中堅を迎えている世代、「就職氷河期世代(*)」です。

*バブル崩壊後の就職氷河期(1993年卒~2005年卒)に社会人となった、雇用面・社会福祉面・教育面での負担を強いられた世代。

経済成長がストップしてしまった以上、会社は大きく成長しません。正社員の数は限られますし、そもそも正社員を養うコストも会社は削りたい。すでにいる団塊の世代の正社員については雇用は温存しながら賃上げはほとんど行わず自然減でコストを減らし、一方で本来であれば新陳代謝すべきところに入ってくる新入社員をできる限り絞りました。

あるいは、コストを圧縮できて業績のよしあしに応じて募集も解雇も容易な正社員でない形での採用が増えました。

【図表1】求人総数および民間企業就職希望数・求人倍率の推移
出所=『「わかりやすさ」を疑え』(SBクリエイティブ)

正社員になれない若者への「自己責任」論

折しも、派遣法の改正で製造派遣など業種・職種の拡大が行われ、企業経営者からすると派遣社員の使い勝手が格段に良くなったところだったことも、こうした流れに拍車をかける要因になりました。なお、この場合の使い勝手とは、コストを抑えて働き手を確保できるという経営者側から見ての「使い勝手」です。

いずれにせよ、正社員の門戸は狭まりましたがゼロではなかったので、上の世代は正社員になれず進路に悩む若者たちに対し「自己責任」「努力が足らない」などと非常に冷たくあたりました。

当時、氷河期世代の親たちは団塊世代でなんとか雇用を維持された正社員でしたから、実家から出て独り立ちすることも金銭的に難しかった若者はそのまま実家に居残りました。これを「パラサイト・シングル(*)」などと揶揄するように報じたメディアも多くありました。年を重ねた現在も同じように「子ども部屋おじさん(こどおじ)」などと揶揄する向きもあるようですが。

*社会に出た後も経済的自立をせず、実家で暮らす独身者。

一方、非正規で採用された人たちはスキルアップをしようにも、日々の労働で精一杯。正社員と違い、勤務先の金銭面、時間面、福利厚生面でのバックアップも心許ない中で時間だけが過ぎていきます。