悲しみ方に正解はない
どのように悲しみに向き合うのかは、これからの人生をどう生きるのかに通ずるところがあります。
生き方に一つの正解がないのと同じように、悲しみにどのように向き合うかも正解はないものです。
ほかの人の考えやアドバイスに従わなくてもいい、自分なりの悲しむ方法を見つければいいのです。見つけるほかはないといってもいいかもしれません。
亡き人とのそれまでの関係や、死を迎えた状況など、死別という経験にも人によって大きな差異があります。違う背景のもとで、亡き人の死を悲しめなかったり、解放感や安堵感を経験したりすることは、ごく自然なことです。
どのような感情や想いであっても、自分だけがおかしいのではないかと無理におさえこんだり、自分を責めたりする必要はありません。
遺された人は死を嘆き、悲しみに暮れるものだとの遺族に対するイメージが暗黙のうちに描かれがちです。
しかし、死別に伴う感情や想いは人それぞれでいいのです。
涙は必ずしも頬を伝うわけではありません。見えない涙が流れることも悲しみのありようの一つです。
「来月が父の三回忌になります。私は父の死に対して、これまで一度も泣けないのです。当然悲しいのですが……。自分はなんて冷たい人間だと情けなくなります」
ある40代の男性は、このように話されました。
その言葉に対して、「泣けないことも悲しみの表現の一つなのかもしれませんね」とお伝えすると、「泣けなくてもいいんだ……」と少し安心したようにつぶやかれました。
「もっとつらい人がいる」と我慢しなくていい
「泣きたいときには泣いたらいい」といわれるように、悲しみを無理におさえるのではなく、十分に経験し、悲しみきるほどに悲しむことも大切です。
まわりの人の目を気にして元気さを無理によそおったり、自分よりも過酷な状況の人と比べて、「もっとつらい人がいるのだから」と、自分の気持ちにブレーキをかけたりしている人もいるでしょう。
あふれでる感情、流れる涙をおさえる必要はありません。あなたの悲しみはあなただけのもの。ほかの人があなたの代わりに泣くことはできないのです。
気持ちを受けとめてくれる人が身近にいれば、人前で泣くこともいいことだと思います。いなければ、人目を気にせず思いきり泣ける場所を探してみるのもいいかもしれません。あなたの悲しみのいろや形は、あなただけのもの。
「悲しみのいろは人それぞれ」と考えると、人にはさまざまな悲しみがあり、自分なりの悲しみ方でいいことに気がつきます。
人によっては、自分の悲しみであっても、その大きさや表現、向き合い方に、自分でも驚くことがあります。
ただ、どんな悲しみでも、そのときどきの気持ちをおさえこまずに、ありのままを表現することが、気持ちを少しラクにしてくれるでしょう。ひとしきり泣くだけ泣いたら、一旦は気持ちが少し晴れるかもしれません。
あなたの悲しみのいろや形は、あなただけのもの