なぜ、日常品の物価高騰は止まらないのか。エコノミストの崔真淑さんは「石油など資源価格の上昇と円安の影響だが、今こそ政府に求めたいのは、食料安全保障とエネルギー安全保障が表裏一体であることを示す政策だ」という――。

年金生活に備えての畑作への関心

最近のスケジュールに、「畑」という文字を打ち込むようになりました。秋から都内で畑を借りて、野菜作りを始めるようになったからです。

住宅街の駅から徒歩2分の企業運営の畑を借り、アドバイザーの指導を受けながら土を耕し、肥料を施し、種や苗を植えました。初心者向けに、育てやすいカブ、春菊、ブロッコリーを選び、春菊とカブは種から、ブロッコリーは苗から育てています。晴れた日に土をいじるのは本当に気持ちがよく、2歳の娘もジョウロで水やりを楽しんでいます。

そんな私の脳天を直撃したのが「石油がなければ、作物は育たない」という“そもそも論”でした。まさに畑作事始めによる気づきであり、おおげさに言えば、初体験から得た絶望からの学びです。

この絶望について、一つひとつ考えていきたいと思います。

当初は、将来の年金生活に備えての自給自足が、畑作への関心のきっかけでした。

「たとえ年金が少なくても、自給自足さえできれば、暮らしていけるだろう」

30坪の畑があれば、一家族分の野菜ぐらいはじゅうぶんまかなえるだろう、と。いわば、自分たち自身は自分で守ろうという守りの思考でした。

「もはや、私たちは石油を食べているのだ」

しかし、それは“お花畑”の発想でした。畑を耕して、きちんと作物を育てようと思ったら、肥料が必要です。肥料は有機肥料だけでなく、化学肥料も使いますし、農薬も使います。

要するに、自給自足で生きていこうと思ったら、肥料や農薬を作る石油=エネルギーがないと不可能なことが明白でした。作物の種子ですら輸入品が多く、種を手に入れるための流通にも石油エネルギーは必要不可欠です。

結局、自給自足の道も、外側からの多大な影響に依拠している。国外から輸入する石油という存在があってこそ初めて、今晩の夕食がある。「そんなの当たり前ですよ」と言われるかもしれません。ですが、自給自足とエネルギーの両輪関係を、畑作の実作業が直球で教えてくれたのです。

数年来の「自給自足」への関心が実践へと移ったのは、一冊の本との出会いもありました。

農業研究者の篠原信氏の著書『そのとき、日本は何人養える? 食料安全保障から考える社会のしくみ』(家の光協会)です。

本書によれば、1kcalの米を生産するために必要なエネルギーは、2.6kcalです。つまり、米1kcalを作るのに2.6倍のエネルギーが要るのです。

実るほど頭が下がる稲穂
写真=iStock.com/sigemin
※写真はイメージです

アグリテックなどで農業の生産性を上げる論調も昨今は盛んですが、これも化学肥料、農薬、トラクターなどの機械が必要です。「もはや、私たちは石油を食べているのだ」とさえ思える現実に、私の自給自足思考は見事に打ち砕かれたのです。