生みの親と暮らせない子どもたちが育つ環境の一つに里親家庭がある。だが、その環境が必ずしも良いとは限らないのが現状だ。日本女子大学人間社会学部教授の林浩康さんは「社会的養護の場が子どもにとって辛い体験となった場合、子どもの声は潜在化する傾向にある」という――。

※本稿は、林浩康『里親と特別養子縁組 制度と暮らし、家族のかたち』(中公新書)の一部を再編集したものです。

手をつないで公園を歩く2人の子ども
写真=iStock.com/TATSUSHI TAKADA
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幼稚園に通い始めて抱いた疑問

悟さん(仮名、17歳)は里親家庭でたびたび傷付く体験をした。出生後すぐに乳児院で保護され、その後3歳違いの姉と児童養護施設に入所し、現在3カ所目の里親家庭で生活している。小学3年生のとき、実母は母子手帳と手紙を職員に渡し、ストレスや疲れから自殺したと施設職員に聞いていた。

乳児院では、親がいないことがわからず、みんな家族だと思っていた。幼稚園に通い始めて「あれ? 周りの子は親と手をつないで帰るのに、なんで自分だけ4~5人で、男の人の車に乗って帰るのだろう」と思っていた。「世話してくれる職員は毎日定時で帰るし、誰がお母さんだろう」と思うこともあった。友達と親のことを話していたとき、「今まで5人くらいのお母さんと一緒にご飯を食べたり、中庭で遊んだりしたよ」と言ったら、「それはお母さんじゃなくて、別の人だよ」と言われたのを覚えている。本当のことを知りたいけれど聞けなかった。親がいないと知ったら悲しくもなるし、自分を強く奮い立てていた。

単身赴任した里父と同居したものの…

小学校入学前に里親家庭で生活するようになった。姉と一緒に里親家庭と交流したが、姉は施設の方が良かったようで、悟さんだけ里親家庭で生活した。乳児院にいるとき、実の親がいる子が家に帰ったりするのを見て羨ましく思っていたので、友達に自分の家族の話をするのが楽しかった。週末には家族で出かけ、誕生日も祝ってくれた。小学4年生のときに、自分が里親家庭で生活していることを友達に言うと、気を遣って「ああ、ごめんね」と言われたりした。「おまえ、親いないんだろ」と言っていじめてくる子もいて、自分は里親にとって本当の子どもじゃないと思うようになり、辛く感じた。

小学5年生の冬に、里父が単身赴任した。里母は看護師で夜勤もあり、里父は会社員で、週末も休みだったので里父と暮らすようになった。転校した学校には馴染めず、毎日学校の相談室に通った。家庭では里父とぎくしゃくしていた。里父が家に女の人を連れてくることが何回かあり、それがすごいストレスになり、公園などで時間を潰して家に帰らないこともあった。

里父に「この家にいたくない」と言ったら、「実は離婚するよ、新しい奥さんができるから」と言い始めて、もうついていけないと思った。結局、里親家庭を出て児童養護施設で生活した。しかしすぐに児童相談所や施設職員に里親家庭での生活を希望し、中学生になってから別の里親家庭で生活した。それ以来「家族ありという肩書」だけあればいいと、思うようになった。