テストの点数が悪いと「床で食べなさい」

新たな里親家庭は非常に厳しかった。勉強時間が決められ、遊ぶ時間はほぼなく、ゲームも禁止され、休日に出かける服も決められた。テストの点数が悪かったりすると「床で食べなさい」と言われ、テーブルの下でトレーを床に置いて正座して食べさせられた。その頃はそれが当たり前だと認識していた。「前の里親家庭を自分から出ていったから、自分で責任を取らないといけない。自分はそういう身だから、黙って受け入れなきゃいけない」と思った。

児童相談所の職員などは全然あてにしていなかった。言ってもどうせ変わらないと思っていた。かつて里親と三者で面談することになったとき、里母が「うちの子は勉強もスポーツもがんばっているし、私たちの言うことも聞いてくれるし、本人も生活には不自由してないと思います」と話しているのを見て、その態度の違いに驚かされた。「人間ってこんなごみなんだ」と思い絶望した。

午後10時が就寝時間で、里父はそれ以降に帰宅するので、あまり会わなかった。10時には部屋の外に付けてある鍵を閉められた。トイレに行くときは壁をコンコンと叩いて開けてもらった。里親の実子たちも、この子は拾われた子だから自分には関係ないという感じで接してきて、一切会話をしなかった。家族とは必要最低限の会話しかしなかった。

薄暗い部屋の床に頭を抱えて座り込んでいる男性
写真=iStock.com/Aramyan
※写真はイメージです

大泣きしながら交番に行き、「この家族は最悪です」

恥ずかしい気持ちもあり、こうしたことを誰にも言えなかった。どうにか辛抱して、普通の暮らしをしているように見せたかった。高校の進路調査票を里母に渡したとき、目の前で破り捨てられて、「あなたは高校に行くお金もないし、中卒で働くのよ。私たちに感謝して家にお金を入れるべきだと思うけど」と言われ、初めて反発した。大泣きしながら交番に行き、「この家族は最悪です」と言い、過去のことを話した。

その後、以前いた施設や児童相談所の職員、里親、警察とで話し合った。そこで里母は「それは被害妄想だ」と言い始め、悟さんは過呼吸を起こして何も考えられなくなった。家に戻るか戻らないかを聞かれて、「戻りません」と答え、結局また児童養護施設で暮らした。また高校に通わせてもらえるような里親を探すように職員にお願いした。悟さんには夢があったので、その夢を叶えたい、絶対に諦めたくないと思い、高校に行くと決心していた。その夢は小学校の先生になることだった。