「お家騒動」で殺し合ってきた歴史
子どもを、自分の本意ではないはずなのに虐待してしまうという親御さんもいると思います。自分がよくないことをしているとわかってはいる。でも、どうしてこの子は自分の思うとおりに動いてくれないのかと、子どもに苛立った感情をぶつけてしまう。それも愛着が強すぎるからこそ起こってしまうという側面があるのではないでしょうか。
距離が近すぎるあまり、客観的に見ることができない。愛着が強すぎるからこそ、激しく、必要以上に攻撃してしまい、冷静になったときに自分のしたことに恐れおののいてしまうのです。
多くの戦国武将はいわゆる「お家騒動」によって弱体化しています。そこにつけ込まれ、攻め込まれて滅亡するのです。お家騒動というのは、端的に言えば、跡目争いです。兄弟、親子、場合によっては夫婦間でも争われ、殺し合いが起きるのです。
斎藤は、父親の道三と不仲でした。道三は義龍の異母兄弟を可愛がったのです。義龍が自分の子ではないという疑いもあったようですが、ともあれそのために義龍は弟や父を殺してしまいます。織田信長は道三を救援しようとしましたが間に合いませんでした。
子どもを守る「家」が凶器になる
その信長も実の弟の信行を殺害しています。伊達政宗は血で血を洗う弟との抗争を繰り広げました。父親を殺したという陰謀説もあります。
時代を遡れば源頼朝は弟義経を殺しています。妻の北条政子は息子の二代将軍頼家を殺しました。そもそも源頼朝の死因もよくわかっておらず、妻・政子の陰謀ではないかという説すらあります。肉親同士の殺し合いの例は歴史上、枚挙にいとまがありません。
本来なら、理想的な形としては子どもを守って育て上げるための仕組みである家というユニットが、機能不全に陥り、却って凶器になってしまう。その理由が、家というものの価値が高すぎ、絆が強すぎるため、というのは、皮肉です。
あたかも、本来人を守るためのものであるはずの正義や宗教が、それ自身を理由として戦争がひきおこされるようなものです。構造としては非常に似かよったものがあるのではないでしょうか。