「優しすぎる人」は被害を受けやすい
「老害」の被害者から見た場合、「老害」を恒常的に受けていると、まず感情の働きが鈍くなり、次第に理解力や聴く力、見る力にも影響が出てきます。
具体的には「だからお前は……」「キミの発言なんて聞いていない!」などと、常日頃から自分の存在や発言を抑圧されるようなことを言われ続けている人は、やがて何を見ても、何を聞いても情報が頭に入ってこなくなり、思考力が著しく衰えてしまいます。
受け身的に聞かされる話ばかりで、自発的に理解することを抑制されるのですから、理解しようとしても、話そうとしても無駄です。最終的には口数も減ってしまいます。
しかもそこに至る過程を本人もあまり自覚できていません。このような状態は、典型的なうつ状態と同じです。今まで医師としてさまざまな患者を診てきましたが、こうした症状は一度治っても繰り返されることが多いのが実情です。
そして残念ながら、人には「老害」の被害を受けやすいタイプが存在します。
これはかつて『「優しすぎて損ばかり」がなくなる感情脳の鍛え方』(すばる舎)という本で詳しく解説したことがあるのですが、他人の感情に影響を受けやすく、自分自身の感情をもともと持ちにくいタイプの人がそうです。このタイプが「老害」に遭遇すると、まさしく一方的に攻撃されやすく、打たれ続けているのに打たれているという自覚を持ちにくいのです。
加害者と被害者の不思議な共存関係
また、特に「老害」側は、相手を支配したり、抑圧したりすることに対する快感や達成感のようなものを持っているため、いくら「老害」を及ぼしても相手からの反応が鈍い場合、勝手にエスカレートしかねない危険性を持っています。
それは見方を変えると、そこまで深刻な被害が起こっていない場合は、「適度な老害」と「被害を受けている意識の低い被害者」が、不思議な共存関係を維持する状況も起こり得ます。特に「老害」側には「ありがたい」存在でしょう。ただ、何事にも限界、限度はあります。
反対に、「老害」を受けにくいのは、自分の意見を持っているだけでなく、はっきり主張することに長けているタイプです。反論されると、「老害」側はくみしにくいと考え、自己肯定感が削られるリスクを考えるからです。
私自身の個人的な記憶にも、今考えれば「老害」丸出しの言われなき攻撃を受けながら、言い返すこともできず受ける一方となった苦いシーンが残っています。医学の世界も、ある時代、ある段階までは徒弟制とでも言うべき雰囲気が濃かったのです。そんな私が、むしろ今の若い方たちから「老害」と思われていたら……やはりたまりません。