SMAPこそ王道であると言えるワケ

そして最後のコーナーは「THE TRIBUTE SONGS」。SMAPがゲストの歌手やアーティストを迎えてコラボするコーナーである。初回は中森明菜。まずSMAPが「飾りじゃないのよ涙は」を歌い、続けて中森が加わり7人で「TATOO」を披露。さらに中森のソロで「がんばりましょう」、そして最後は再び7人で「DESIRE」がノンストップメドレーで歌われた。

後にコーナー名などは変わるが、歌とダンスで最後を飾るのはこのときから。セットや照明、そして曲やダンスのアレンジなども、すべてこのコーナーのために準備されたもので、贅沢なつくりである。そうしたなかで聴く2組それぞれの一連のヒット曲はどれも普段とはまた違った印象で、自然に見入ってしまう。番組は最後、中森明菜とのなごやかなエンディングトークで締めくくられた。

こうした構成は、「歌って踊って笑いもできるアイドル」であるSMAPの特性が反映されたものだ。

SMAPについては、アイドルがお笑いも本格的にこなした新しさを指摘されることが多い。それはその通りなのだが、見方を変えれば、彼らは「スマスマ」によってバラエティ番組の王道を継承した。つまり、テレビバラエティの歴史という観点で言えば、SMAPは異端的存在ではなく王道中の王道を行く存在だった。

黒柳徹子、クレージーキャッツの系譜

ここで“王道”とは、1960年代初頭に確立されたスタイルを指す。当時日本のテレビは、アメリカのスタイルに日本的なお笑いの要素も加味しながら、自分たちのバラエティ番組のフォーマットをつくりあげた。

たとえば、同じ1961年に始まった黒柳徹子、渥美清らが出演した『夢であいましょう』(NHK)とクレージーキャッツ、ザ・ピーナッツらが出演した『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)は、その原点である。ともに歌、踊り、コント、トークといった多彩な要素をちりばめ、コメディアンや芸人だけでなく、歌手なども出演していた。

黒柳徹子
黒柳徹子(写真=『新刊展望』1963年9月1日号/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons

共通する基本コンセプトは、世代や性別を問わず楽しめる番組である。

1980年代の漫才ブーム以降、アドリブ主体の過激さを志向する笑いが主流になっていくなかで、『夢であいましょう』や『シャボン玉ホリデー』の系譜は記憶の片隅に追いやられている感があった。「スマスマ」は、そんな王道バラエティの伝統を鮮やかに復活させたのである。

こうした王道バラエティには、『夢であいましょう』ならば永六輔、『シャボン玉ホリデー』ならば青島幸男のように、番組を支える多才な放送作家がいたのもひとつの特徴だ。「スマスマ」には多くの放送作家が携わったが、メンバーとのかかわりの深さという点から言えば先述の鈴木おさむの名が同様の存在としてあがるだろう。