いまや日本人の2人に1人が、がんにかかる時代。東京大学医学研究所などで、がんのメカニズムを研究してきた元日本癌学会会長の黒木登志夫さんは「がんはおそろしい病気だ。しかし、意外な利点があることも知っておくべきだ。私はそれを弟と妹から学んだ」という――。(第2回)

※本稿は、黒木登志夫『死ぬということ』(中公新書)の一部を再編集したものです。

介護者と車椅子の高齢者の手
写真=iStock.com/kazuma seki
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がん研究者の実弟は膵臟がん患者の最長生存例

私の弟は膵臓すいぞうがんから生還したひとりである。1996年のある日の夜、「今日、会社の健診で腹部エコーを受けたところ、膵管が拡張していると言われた」という電話があった。私は、膵臓がんは膵管にできるがんであることから、拡張があったのは小さながんができて膵管が詰まったのではないかと考え、翌日、かつて仙台の研究室で机を並べていた高橋俊雄都立駒込病院院長に診察をお願いした。

画像としては発見できなかったが、膵液の細胞診でがん細胞が発見された。膵頭十二指腸摘出により、8mmの小さながんが発見された。28年後の今日までがんの再発はない。主治医によると、彼は膵臟がんの最長生存例だという。この例では、非常に運がよいことに、エコー検査で膵管拡張が発見された。そして、本人がすぐに決断し、手術を受けたことが奏功した。退院後、弟と私は、最初に見つけてくれた臨床検査技師にお礼に行った。

急性白血病からの生還

天才的な水泳選手、池江璃花子は2019年2月、オーストラリアでの合宿中に体調不良により急遽帰国した。18歳のときである。急性白血病と診断されたが、強力な化学療法のあと、骨髄の造血細胞を入れ替える骨髄移植により、完全に回復し2021年の東京オリンピックに出場した(なお、池江は東京都江戸川区の西小岩小学校の出身で、大相撲の翔猿と同窓。往年の名横綱栃錦は下小岩小学校の出身。全くの余談であるが、私は南小岩小学校の卒業生である)。

テノール歌手のホセ・カレーラスも骨髄移植によって白血病から回復した。ホセ・カレーラス国際白血病財団を設立し、さらに、アメリカ臨床がん学会の際にチャリティコンサートを開いている。