がんのおかげで「隠れた幸せ」に気付けた

それからがん闘病を繰り返す中で、本当の幸せは「もっともっと」を追求していた物質的な世界ではなく、当たり前の日常の中に隠れていたことに気づきました。

何気ない日常に隠れている、しみじみとした、胸の奥が温かくなるような幸福感は、「もっともっと」を必要としません。それだけで十分に幸せだと満足できるのです。

がんのおかげで、そういう大切なことに気づけたのは、今となっては本当によかったと思います。

5度のがんを乗り越えた高山さん
写真提供=高山知朗
5度のがんを乗り越えた高山さん

もちろんがんにならずに気づくことができたらよかったのですが、自分の性格上、心の底から当たり前の幸せの大切さを実感し、「もっともっと」から抜け出すためには、数度にわたるがん闘病が必要だったのだろうと今では思っています。命に関わるがんでもなければ、自分が命をかけて立ち上げた会社を手放すなどという決断はできなかったと思うのです。

治療の「記念日」を家族と祝い続ける

がんに限らず、辛い闘病を経験した方の中には、治療を終えて日常生活に戻った後はもう闘病のことなど思い出したくもない、とお考えの方もいらっしゃると思います。

しかし、私の場合は治療の節目を「記念日」として大切にしています。

治療で乗り越えなければならなかった山場、あるいはマイルストーンともいうべきイベントの日を迎えるたびに、家族とお祝いしています。

例えば、1回目のがんである脳腫瘍が見つかったのは、オーシャンブリッジの創立記念日と同じ6月13日。手術で脳腫瘍を取ったのは7月4日のアメリカ独立記念日。2回目のがんである悪性リンパ腫では、完全寛解の日が11月26日。3回目のがんである白血病では、臍帯血移植の日が4月14日。そして生着日は私の誕生日と同じ5月6日。

こうした日には、これまで再発せずに無事に過ごせたことを感謝し、治療中、大変だった経験を思い出します。

脳腫瘍手術日の7月4日には、手術室の自動ドアを挟んで妻と1歳の娘とバイバイして別れたこと、手術後にICUで面会した妻が「無事に終わってよかった」と涙を流して喜んでいたことが記憶に蘇ります。