自分の人生は「無限」だと思っていた
若いころは、自分はなんとなく80歳過ぎの平均寿命くらいまでは生きるんだろうと、深く考えることもなく思っていました。そのころの自分にとって80歳というのは、遠くに霞んでほとんど見えないような年齢です。永遠のそのまた先のようなものです。
それはつまり、自分の人生には無限に時間があるのだと思っていたようなものです。
もちろん、人は誰でも死ぬし、永遠の命などないということは頭では分かっていました。しかし、具体的なイメージとして、自分が死ぬということを想像するのは難しいものです。家族の死に何度も直面しても、自分自身の死を意識することはありませんでした。
がんを経験すると、それが一変します。突然、自分の人生には残り数年しかないかもしれないと宣告されるのです。そこで、自分の人生の残り時間には限りがあるという現実に気づきます。
明日が来るのは当たり前ではないと気づき、人生の残り時間を意識するようになります。
誕生日のお祝いや、旅行などの楽しいイベントも、死ぬまでにあと何回経験できるだろうと考えます。
すると、一日一日が本当に大切なものになります。
人生が有限だと気づくと、残りの人生をより大切に生きていくことになるのです。
墓石を押し返しながら生きている日々
1回目のがんである脳腫瘍を告知されたとき、「自分はあと2~3年で死ぬかもしれない」と思いました。そのときから頭の中に、自分の墓石のイメージが現れるようになりました。それは、硬く黒光りするイメージとして、自分の身に迫っていました。
その後、脳腫瘍の摘出手術が成功して、墓石を向こうに押し返しました。
しかし2年後、2回目のがんである悪性リンパ腫が見つかって、また墓石が自分の目の前に近寄ってきました。
でも抗がん剤治療を受け、寛解となったことで、また墓石を大きく押し返しました。全力で押し返しはしたものの、その代償として、体には大きなダメージが残りました。
4年後には3回目のがんである急性骨髄性白血病となり、また墓石が大きく近づいてきました。
臍帯血移植を受けて、何度か墓石に押しつぶされそうになりながら、文字通り必死で押し戻しました。