テレビ東京系ドラマ『孤独のグルメ』の井之頭五郎役でおなじみの俳優・松重豊さんにも、苦手な食べ物があるという。それは何か。松重さんは「いまだそれを口に入れることなど想像すら出来ない。実は、10年続く例のグルメドラマでも僕は好き嫌いがないことで通しており、その食材が出た日をもって番組終了だと考えていた」という――。

※本稿は、松重豊『たべるノヲト。』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。

これをトラウマと呼んでもいい

昭和グルメの殿堂とでも言うべき
デパートの大食堂で白い大噴射

かつて嫌いな食べ物をお互いに食べ合って、相手の苦手なものを当てるというバラエティ番組があった。出演することなくその番組は終わったが、何かの番宣で出ていたとしても間違いなく僕は相手に悟られてしまっただろう。いやむしろ口にした途端、はげしくえずいて吐瀉としゃし、醜態をさらして放送不可能になったに違いない。いまだそれを口に入れることなど想像すら出来ない。実は、10年続く例のグルメドラマでも僕は好き嫌いがないことで通しており、その食材が出た日をもって番組終了だと考えていた。これをトラウマと呼んでもいい。

子供の頃に連れて行かれたデパートの大食堂

子供の頃、母親に連れられて繁華街のデパートに行った。目的地より道中のチンチン電車に乗ることだけが楽しみだった僕にとって、母親の買い物は長く退屈だった。人混みに酔い上気した僕は、両手に買い物袋を下げ満足げな母に6階の大食堂へ連れて行かれた。入り口の売り子さんからサンドイッチの食券を買い中へ入る。当時のデパートはどこも最上階にこのような大食堂があって、和洋中なんでも頼めた。中はワンフロアぶち抜きでテーブルが並べられ圧巻だ。すかさずウエイトレスさんがやってきて水と引き換えに食券を半分ちぎって持ち去る。

しばらくするときれいに並べられたサンドイッチがやってきた。添えられたパセリとポテトチップスから都会の風を感じる。手で持って食べていいと言われ、わくわくしながら一口かじった。ところがその瞬間、鼻腔びくうを突き抜ける臭いと得体の知れない味に我を忘れてしまった。「うぇぇい」と言いながら吐いた。大きくえずいた。悪いことにそこは大食堂の真ん中の席。周囲の客が一斉に見る。口から出した白い棒状の物体を恨めしそうに見つめる僕に向かって母が言った。「あら、中にアスパラの入っとったとね」。その時以来、僕は缶詰のホワイトアスパラガスを口にしていない。

アスパラ
イラスト=あべみちこ(よつば舎)

本稿の挿絵画家あべみちこさんから初夏になると旭川産アスパラガスが送られてくる。「緑」は当然好物だが、半分は「白」。最初は当然躊躇ためらった。食べたことにしてお礼を書こうとさえ思った。騙されたと思って食べろと女房に脅された。騙されて正解、「白」は「緑」と違った趣で実に美味い。トラウマ解消と言いたいとこだが、缶詰のそれを口にする勇気を持てる日はいつなのだろう。